アーモンドの木の花
サクラの花より一足早く
寒ければ寒い日ほど、目に留まりやすくなる
桜のやわらかさとは趣を異(こと)にし
寒色系の色彩と輪郭が季節を告げる花
気付かずにやり過ごしてしまう程の存在は
これかなと近寄り、情感を深めて眺めて初めてわかる
サクラに先立ち咲く春の花
それがアーモンドの木の花
寒さが似合うのはどうしてだろう
サクラとはほんの半月ほどの違いなのに
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1/25血液データの異常が発覚、同日はご本人が捕まらずドアに張り紙をし連絡を待った。
1/26、連絡のないまま定期診察にも来られず、午前診療を終えてから、住居を訪ねた。
午前の診察にやってこようとしていた様子だったが公団の一階のこの階段に座り込んで身動きが
取れずにいた。
認知症の奥さんを上の階に迎えに行き一緒に一階に向かう。
ご主人はこの階段を降りたところでなお座り込んだままだった。
ご主人が通りなれた階段の最後の光景はこんなだったのだろうか。
何とか車に乗り込んでもらい奥さんと3人で無事病院に辿り着いたが、その時の奥さんとの会話
では認知症には思えなかった。入院を続けて体調と廃用は何とか危機を脱する方向に向かってい
たが入院とストレスによる認知面の低下が起こり始め不安な面もあった。
奥さんの日常についてはご主人がいたから成り立っていたのだろう。
一人暮らしとなった奥さんの生活は立ち行かなくなり数日もしないうちに入院となったそうだ。
ニコイチでようやく成り立っていた危うい高齢者同士の支え合い。
歯車がひとつかみ合わなくなるだけで、欠けるだけで、壊れさってしまう日常ととなり合わせだ。
奥さんが最後に見たであろう階段通路からの日常の風景。
ご主人の状況は良い方向に向かいつつあったが、以前より患っていた虚血性心疾患のために今朝
突然に心停止となった。
主治医により蘇生措置を一時間に渡りしていただいた結果鼓動は取り戻したが、その10時間後
に帰らぬ人となった。
普段から循環器の専門病院に通い、手術治療を勧められていたが、命のことはもう何も考えず、
何があってもいいから今以上の治療を望まないとのことであった。
しかし実際に今回のような苦しみにあうと希望の灯を心のどこかで灯されているようにも見えた。
いや、今の不自由の身を解き放してくれということだったのかもしれない。
彼との最後の面会以外は落ち着いた気持ちでの前向きな会話であったが、亡くなられる前日は拘
束帯で自由を奪われたことについて外してほしいと訴えられた。病院側の管理責任としてそうす
る他なかったのだろうが、その訴えが最後の会話となった。最後の会話と表情は申し訳ない気持
ちとして記憶から消えることはないだろう。(今思えば、黙って外して)
長い付き合い(10年以上)で初めて見る笑顔以外の表情だった。
そして終焉が突然に旅立ちの形でやってくるとは思いもしなかった。二人が支え合い何とかこけ
ずに送る日々であったとすると、あまりにも儚く、いとも簡単に壊れてゆく現実を目の当たりに
して、奥さんにとっては認知症もいい方向に働いてくれれば、これで良かったと思えるかもしれ
ないが、どうなってゆくのかはわからないことであり入院中の病院のケースワーカーと連絡を取
り少しでも良い道があればと、声をかけたいと思います。
それぞれがそれぞれの想いを持って生きてゆくうえで、良かれと思って出来ることを重ねてゆく
ことは大切に思います。また、多方面に向け考慮を要する時などには、こちらには良いがあちら
との関係が悪くなるなどと思うときには、ココロの中の大切の順番を守ることで後悔しない道を
歩んでゆけると思います。
なぜなら、無私と利他の精神に通じる道は、最も守られなければならない方のココロが守られる
道に思えるからです。
今は残された奥様の余生が無事平穏なものになりますようにと祈るばかりです。
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It was really glad to see you .
Our feelings become an eternal wind that continues to blow gently.
This bird is a bird that brings happiness you know.
The feeling between the two of us becomes an eternal wind that keeps ticking.
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人の持つ五感というものは、季節の持つ迫りくる何かを
カラダの隅々に至る感覚でストックしているように思う
そして、この一枚からは理由は定かではないが「秋」というものを感じる
今は3月中旬なのだが・・・
hellow my favorite season
僕は大好きな季節に逢えたみたいで、少し得をした気持ちになった
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この人はどんな用があって
この人は誰と歩いて
この人はこっち向いてやってくるけれど
じゃ僕はというと久しぶりに日光に当たり歩いている
情けないことだが、ゆっくり歩くのも疲れる
今日は河原に降りるにもふらふらして怖い思いをした
気持ちが前を向かずに全く運動らしい運動をすることもなかったが
最近、これはやばいぞと思うぐらいに歩いたり立っていたりに努力を要する
すでに、来られる方に指導するような立場ではなくなっているって気がした
しかし、物は考えようじゃないか
ここからの巻き返しができないかすこしでもガンバッテみようか
(昨日のブログは書き直しました)
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今日は寒かったね
塀にとまったセキレイも、ほら
こんなにカラダ(羽毛)を膨らませて
あったかが逃げてゆかないように
自然と学んだ懸命な姿があった
お節介な思いかもしれないが
細い足のそのまた細い指先のさぞかし冷たかろうや
セキレイは一年中見かける気がする
それに少し離れたところに仲良しのもう一羽がいることが多い
そのなにげないツナガリに心地よい風が流れ
微笑ましく思う
そんなナチュラルウィンドがそよぎ続けるように
自然な形で出来ることをさせていただくことに自らの存在の意味を見出そうとする者にとって
時として思いが先走って負担をかけることなどないように自分自身への問いかけも忘れてはなら
ない
すべきはことは、自身の考えに凝り固まらないように気を付けること
何かをさせていただけるということはありがたいことなのだから
まっすぐなココロを少しでも傷付けたりしないように気をつけなきゃいけない
「今日はありがとう」って、届きますように
そして、いつか「今日もありがとう」て分かり合えますように。
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色鮮やかなドラム缶が冷たい風に吹き曝されて
ココロの濾紙を通り抜ける時、何を吸い取ったのか寒色系の色に変化した
堤防のデッキをゆく人の襟元も寒げに揺れて見え、冷たい風はあちこちに魔法をかけてまわる
すぐ下の船着き場の上を巡回するかのように行き来するカモメ
ひとつの世界に包まれ、感じるのは紛れもなく僕だけのものだ
少し寒いけれども、良ければ、あなたも、今立ち止ったあなたも・・・
のんびりと自分のホントの世界をのぞいてみませんか
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西日だけが・・・
西日だけが・・・ 高い天井近くの小窓から季節の色を連れて差し込んでいる
ライブ当日の音源と自筆のノートのコピーと懐かしい人たちの写ったアルバムをさし上げた
多くの方の気持ちがひとつになった日(2009.2.14)を思い出して
煉瓦造りの工場の跡で昔話をしたそのあとは、新たな頂に向かっていただきたい
未来のあなたたちが、「いい道を歩いたな」と思えるように
「頼むで」と、一言告げて、大きく手を振って別れた
工場の出入り口には「OKADA」と書かれた蓄音機と使い古した針が散らばっていた
今の時代には即さない音質であろうが、レトロな雰囲気に一役買われて鎮座している
「よく来たね」「じゃ、また」って言葉にならない言葉を語りかけて来るようだ
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灯りを落とした店内は静まり返った
このテーブルをはさみ僕らは向かい合った
すると今という時の心境が届きはじめた
自らの存在、実在感を感じられているように思えないという
僕のことも聞いてこられた、応えられる範囲で真実を述べた
あれから15年、気持ちのピークがあった頃と同じものを求めているらしい
あの日のように、これといってすぐにできることなどないが、
僕は僕で出来ることをし、声をかけてゆくことで彼の探し物のきっかけが見つかるかもしれない
明日が読める日々を築き上げるためにも、互いに誰かの幸せを願ってできることひとつずつ
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あまりに解決の難しいことに対応を迫られる数日だった
職務上、関わらざるを得ず、それぞれの事案には心休まる道をと思い、想いをともに道を探そう
とはしたのですが・・・
許し得ることと、許し得ないことの境界線は人それぞれによって異なるし、
そもそも主観的に被害者と思っている方にとって自らの否はないかなどと思いをめぐらす事自体
酷なことでもあるから、少しでも今回はここまでで済んでよかったという気持ちに近づいてもら
えたらという思いでお話をさせていただいた。
必要なことは時間をかけて、どれだけ自分を見つめることができるか、混沌とした思いを整理し
て、せっかく手に入れた職を失することのないように見守る事、ここだけは今回のこととは全く
関係のない事であり物理的な不具合に追い込まれることのないようにだけはご家族を含めて見守
っていただくようにお願いさせていただいた。
なぜなら物理的な破綻は精神の破綻を招くからだ。
客観的に見て10対0の案件ならば粛々と事は勧められてゆくが、客観的に見て10対0の案件
でない場合、被害者側が自らの否の部分を探し出してそれを認めるにはさらに時間が必要となっ
てくる。非の部分は自らの反省材料として先に生かし、哀しみは分け合うことで互いを深め合う
か、誰かを守るための理由とするなら胸にしまい続けるかだというのが僕の思いだ。
しかしながら、そこまでたどり着かないとなかなか心は落ち着きを取り戻せないのも事実だし、
確かに誰かのせいでつらい思いをすることにはなったが、当事者でなければわからない思いでは
あるが、今回に関しては立ち直れる範囲であるし、そのせいで職を失うようになったという理由
だけにはすることのないようにしていただきたい。
当事者の方の職場とは全く関係のない事案でもあるし、社会生活は是非とも続けていただきたい。
誰かを救うための嘘なら自分のココロの支えにもなるだろうが、でなければなにかのせいにした
まま社会生活から遠のきこの先を歩いてゆかなければならないことになる。
そんなことにならないように、雪解けを待つように、駆ける言葉も表情を見ながら、これで済ん
でよかったと思えるところに辿りついていただきたいと思っている。
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まだまだ寒いけれども、
ホースで水をかけてもらい手を振って大喜びの「ガーちゃん」という名のガーガーちゃん。
柵の外にいる僕の指をかむときは結構きつく噛むが、柵の中に入るととてもフレンドリーに寄っ
てきて甘噛みをしてくれる。
中にいると友達だって思うのかな?
先ほどまでのちょっと怖いかなって咬み方一切ない。
同じ環境同じ背丈に近づくことで自然と生まれるシンパシーってあると思う。
例えば知らない方にお逢いすることになる際、互いに適度に気遣い合い違和感のない自然な姿勢
で接することができたなら、僕らだってどこかに似た世界観を持つことができるように思う。
何か信じられる共通項を探して・・・
僕らは・・・
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なんてまっすぐなんだ
なんて優しいんだ
なんて素敵なんだ
その目が
その手が
その声が
見て
触れて
届く時
僕はありったけの大切を届けたいって思う
きっと言葉にも形にもならない忘れかけたものに思える
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信じられないことや、疲れを身にしみて感じる一週間だった
そんな中、ご褒美のように届いたひとときには無限を感じた
数式やデータをどれだけ並べても、富岳が何年かかっても説明などできないココロの領域だ
その感覚をクレイドルに
ゆっくりと休ませてもらおう
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ウサギさんのイメージ
かわいい
赤い目
長い耳
後ろから見るとまん丸
ピョンピョンと移動する
フワ―ッとしたマシュマロ
「みどりのとき」の歌詞のように並べてみる
いつも、前にいるはずの君が今日はついてくるんだね
そして君のふるえるその手を僕は静かに引いた
・・・ひとり遊び
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ピントを外してもかわいい
そう思いながら見てたガーガーちゃんの足
オッとピントが合うと「ジュラシックパーク」っぽいな
baby faceに咬まれたら可愛いのに、足を見ながら咬まれると襲われてるって気がしてくる
見た目が大切なのかどうなのかはよくわからないが、私たち生物に備わる五感の何処か(防御
に関係する部分を)を刺激されているのだろうな
自分自身が感じた感覚は大切に
どんな些細なことも、身を守る為にあるものだから
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どのような悲しみも
どのような喜びも
どのような出来事も
どのような心の動きも ・・・真実ならば理解できる。
私はどのような腹立たしさも、本当に憎まなければ自分が壊れてしまうような事
でなければ許す努力をしたいと思う。
私が心を傷め悲しみに暮れたのは、あなたがココロから悔やんでいるようには見え
ないと思う私がいると気が付いたから。
あなたが本当に悔やんでいるのなら、あなたが悲しみに至った道筋とその訳を語り
切ることで、あなたの本当を語り切ることで、本来あるべき真実の道を築けるはず。
ココロの内の真実はココロの強さとなり、事象としての真実を淘汰するものに育つ。
それは悲しみに悔しさが加わって伝わりはじめ、
あなたの謝罪の言葉が加わった時、私も自らの至らないところを探し始める。
許すということは、自分の至らないところを探し出し反省するチャンスを与えても
らっているということでもある。
自分自身で自らの至らなさを加筆できたとき、一度は崩れ堕ちた道も、あるべき道
の姿となって、より成長した確かな歩みはココロにヤスラギを届けてくれるはず。
・・・ココロの真実はやがて確かな翼となり純真を取り戻し羽ばたき始める。
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黄昏の空はいよいよ今日の最終上映も終焉に近づいた
余りの奇麗に見入っていたが、少し北に目をやると・・・
河畔に花を咲かせる梅の木の上に大きなお月様がいた
驚きを隠せない、それ程に大きく見えるお月様だった
今年のsnow moonは地球から最も遠く小さいfull moonだそうだ(地球から40万km)
(super moonはその年により異なり、その年の一番大きなfull moon/地球から36万?)
二月のfullmoonは、snow moonって言って
「寒さが厳しく大地の多くが雪に覆われる季節」にちなんで付けられた名前だ
河の水面に映る月の灯りはココロの息遣いを映し出すように揺れている
「ポケットの暖かい」
「カイロ代わりにした自販機の缶コーヒー」
「ポケットのなかは君の遊び場」
僕の唄に登場するこの時期のお気に入りの季語だ。
見つかった音源やかつて書いた曲の中には、まだレコーデイングできていなけれども、
僕にとって、何らかの形で残しておきたいと思う作品がある。
自らの演奏や歌唱によるものは納得いくものにならないだろうから、何とかしてやれれば
いいのだが、とそんな気持ちだ。
とても気に入った曲だったのに、思い出せなくなったものもある。
音源化には努めてはいた。しかし身に起きたことで間に合わなくなってしまった。
それでも、自分自身がそこにいなくとも作品は僕の分身だ。
できうる範囲のことを考えてみよう。
シアワセは、それぞれに誰かをシアワセにと願い、幸せにすること
そっと静かに輝きを失うことなく、そこに灯り続けるべきもの
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ここにも忘れ得ない日がある
15〜16年前のことになるが「バレンタインの贈り物」というタイトルで
2年続けてのチャリティライブだった
どちらかが限りなく寒い夜だった。そしてどちらかが風邪をひいて声が出ないのに目的が目的
だけに延期は考えられず、ひどい声だったが「ソンナノカマヘンヤン」とお客様と一体になり
みんなで目的を達成できた春一番の嵐の吹いた日のライブだった。
どうして今そんなことを書きだしたかというと、昨日、当時の音源の一つが見つかったのだ。
自分で言うのもおかしいのだが、声は出てないは、歌詞を忘れるは、演奏のミスはあるは、だが
そんなことはどうでも良くなるほどの皆さんの暖かいココロに包まれて会場は最高にいい雰囲気の
中、幸せに満ちていたように感じた。
あの企画はホントにみんなで作り上げた最高の作品だったと、いま改めて思うことができたこと
で、再び幸せをかみしめるとともに、あの日ご一緒していただいたみなさんに改めて心から「あり
がとう」の気持ちを届けることができたらと思っています。
それで今日10年ぶりぐらいになるでしょうか、一緒に企画していただいたrojicaの店長さんに会
いたくなって、現状報告と昨年出版したフォトエッセイをお渡しにいかせていただいた今日という日
でした。
今日は忙しい時間帯に突然お邪魔して申し訳ありませんでした。
また近々お逢いしましょう。と約束だけをして・・・
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今日は急な寒さを感じます
この人はいったいどんな人
ダウンジャケットのフードを頭からかぶり込んで
その上にヘルメットをのっけて寒さ対策を施している
・・・ 発想が奇抜とするなら若い / 日常からのものなら年配
後ろ姿全体はどうだろう?
・・・ 40〜50台
肩からのたすき掛けのバッグは?
・・・ 50〜70台
後部座席には買い物かごって?
・・・ 60台以上
道行く人のプロファイリング終了
・・・ 僕の予想は50台
お逢いすることもないので答えはわからないままですが・・・
・・・ 気を付けてお出かけください
・・・ 特にご自分の前の車のすぐ後ろは対向車からは影になって見えませんから
同じ時間を使うなら、教習所や免許更新の講習では、形式的なルールは当然のことですが、
あれこれはダメ以外に、事故にあって傷つかないための注意事項を揚げていただければ
互いを守りあえる確率も上がるように思うのですが・・・
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手を伸ばす
近づこうとする
二つの純真が触れ合う
見てるだけで「いいな」って思う
僕もガーガーちゃんと仲よしになりたいって思う
純真でありたいって思う
すると「羽目を外しちゃいけないよ」と僕が自身に話しかける言葉に感嘆符が付いてくる
この場合ガーガーちゃんが僕をつつくのはOK、甘噛みするのもOK
でも僕が無理に撫でたりするのはNG
つい、ヨシヨシって撫でたくなるからね
しばらく仲良くして戯れ合って別れ際には放し飼いにされている柵の端までついてきてくれた
最後には羽根を広げて送ってくれた
僕も「じゃまた」って何度も振り返って手を振った
I've got a friend too
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田舎道
玉ねぎ小屋の前
街灯の照明がよこなぶりの雨を映しだした
すると今まで以上に気まぐれで頑強な風に翻弄されて
雨粒のひとつひとつが一層に冷たく強く体当たりをしてくるように感じた
人は踊らされ、傘たちはそれぞれに先の読めない運動を強いられ
傘の骨は折れてひっくり返るものまであった
寒いはずの冬があたたかいと言えども、2月の雨はやはり冷たい
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いつもは柵の外から写真を撮らせていただくのですが
今日は餌を与えに来た方から良かったら、「是非中に入って写真を撮っていってください」と
声をかけていただき、お言葉に甘えさせていただきました。「初めまして、よろしくね」とお近
づきのしるしのクローズアップモードショットを一枚
“You’re handsome, aren’t you? (どう、男前でしょ)
He said "who are you?"
"Your new friend"Isaid.
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どのような悲しみも
どのような喜びも
どのような出来事も
どのような心の動きも
・・・真実であれば理解できる
事実と悲しみ、それを悔いる想いを語り切ることで
ココロの真実は、実存した物理的事象も淘汰するものに違いない。
救いの道は悲しみに悔しさが加わって伝わりはじめる。被害者ではあっても、大切なのは
自らの否をも明確にする必要があるというところから始まる。しかし何の隙も甘さもなか
ったのなら、それは確かに悲劇であり無条件に救われるべきものであると思う。
間違いなく決してあってはならない望まれぬ目にあったわけであっても、それ以上に鍵と
となるのは、被害者自身の心理の変遷をたどった際に、いい気になったり、自らのココロ
に住む大切の何であるかを忘れてしまった時は無かったかを問いたださなければならない
だろう。自ら悔いていることのなぜを明確にして語れた時、初めて哀しみは分かちあわれ、
悲しみをエネルギーに変えたどこまでも深い幸せが育つだろう。
そして、あなたの純真を守ろうと想いを共にした人と互いの至らなかったところを、互い
の責任として理解し合うことができるだろう。
そして、互いに自身の至らなさを改めて加筆できたとき、
一度崩れ堕ちたは道は遥かいにしえの粉塵となって消え去り
今や深い絆と共にあるべき道が見えている
・・・ココロの真実はやがて大きな感動を生み
永遠の空の果てしない想いに向かい冒険の旅に出かけることを可能とする
大切の何であるかを知った魂は互いの純真を守り合い
壊れたり傷付くこともない翼と共に
永遠という名の旅を始める
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今では整備された街の灯りも、子供頃の田舎道には電球すら備えのない電信柱がほとんどで
月灯りを頼りに家路についた
足元などはほとんど見えなかったが、玉ねぎ小屋のうっすらと見える影を頼りにペダルをこいだ
それでも、便利が飽和する今よりも、はるかに深く静かで大きな感動がココロに届く時代だった
誰かにそうではないと言われても、信じる道を検証しながら歩むことだ
聞く耳を無くしさえしなければ、声もかけていただけよう
自分は正しくないかもしれないと思えることも有難いことだ、 声をかけていただけるのだから
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雨の日にはドライフラワーが似合う
雨は冷たくて、屋内につるされたドライフラワーがやわらぎを届けてくれる
雨に濡れた花たちの後には乾燥し時を止めた花たちが懐かしい想いを届けてくれる
定番はカスミソウに包まれたバラのアンサンブルだ
この組み合わせはずっと僕のなかでの一番だ
花が傷んでしまう前にドライフラワーにする
触れると欠け落ちるから、ココロ静かに語りかけよう
大切にできれば、幸せに思う
鮮やか色した季節の余韻を携え、想い浮かべたぬくもりにココロ暖める季節
セピア色の時を迎えても、想い起す笑顔がココロの中で輝くよう今日に努めよう
枯れた懐かしさも、やがて時を経たギターの音色になって届きますように
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おっちゃんは強面だが、しっかりとした絆でつながっているとわかった。
少し寂しそうだが、安心し切った表情でバギーに乗せてもらってのお散歩だ。
「どんな幸せも今日という日に届けれるだけ届けておこう」
そんな思いを届け合う二つの命が嬉しくて。
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白いバラが一輪、刹那に惑うこともなく、ココロに凛と姿する
想いを身近に知る程に
素敵の由縁を守らんと
懸命の表に向き合おう
真白き想いを守り給え
バラ一輪
焦がれてた白いバラ一輪
訳などない
懸命はただ輝いて
・・・言葉はいらない
・・・今、ココロには白いバラを
いつも、ココロに白いバラを
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JUGEMテーマ:日記・一般
〜 キネマの世界 〜 今ダンスをするのは誰だ / 古新舜 監督
ミニシアターと呼ばれる場所、そこには昭和の空気が残る場所でもある。
シアターという響きよりも映画館という呼ぶ方がしっくりくるし、うろ覚えではあるが、
おそらくリバイバルではないキネマという言葉がまだ大人たちの間で存在した時代だった。
封切自体そう多くもなく、友達のウチで幻燈というものを見せてもらった時代を思い出した。
そういえば幻燈の熱源で柱を焦がした場面に遭遇したこともあった。
人の手渡しの入場券とゆきかう言葉のぬくもりが嬉しくおもう。ここは9列だけの小さな映画館。
僕の街にも映画館があったことを思い出した。その昔、途中でフィルムが切れて上映が止まって
も何の声も上がらず、誰もが直していただいているという気持ちで待った。そんな時代だった。
監督、出演者、来場者、のサインが壁とドアを埋め尽くしている。
ほぼ10年ぶりに足を運んだのは、私自身が映画から学び、患者様にフィードバックできるものを
探したいと思ったからだ。患う者が前を向く事はそう簡単なことではないし、全てを公表するに
は自分事だけでは済まない壁がある。人それぞれではあろうが、本作品には一つの答えがあった。
短い時間だが、監督とお話ができ、言葉に出来なかった思いが互いに伝い合えただろうか。役だ
てていただけたらの思いで手紙に本とCDを添えて渡させていただいた。この作品にに携わられた
人たちの懸命な姿と輝く姿が生まれる事にこの作品の意味を感じ、「生かされていることの証し」
を伝え、病中にあってもそれなりに何事もない日々に感謝し、当事者でもある主演の方の誰かの
ためにに役だてる人生を歩む実存する姿があって、それが映画の世界と並行して存在する意義は
大きい。監督および関係者の皆さんに感謝いたします。そして力まず、役だてるように明日に挑
みたいと思います。
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CRESCENT MOON (三日月)のインレイはギターのヘッドや指板の装飾にも良く使われる。
夜の宇宙という無限の闇の中、視認できる唯一の姿や色調まで変える神秘的な星だからだ
クラシックからポピュラーまで月をタイトルとする曲は多い。
願いを込めたり、ココロの内を語ったり・・・ 想い出の場面に寄り添ってくれたり・・・
ココロの片隅に映り込む、無限の諧調の心地いい。
偶然に、出逢った光のいたずらか。
どれ程に心奪われる綺麗な灯りなんだろう。
もう二度と逢えない輝きかもしれない。
そんな気がした午後の反射光だった。
影は伸び、やがて闇に吸い込まれるように消えた灯り。
あの光を忘れることはないから、
暗闇の間、月になって、
その一瞬と君の大切を守りたいと思う。
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普通ヒツジはこうでしょう。
顔と足を剃ったヒツジ?(サフォーク腫)がいた。
どういうこと? ・・・剃ったりしなくてもこの風貌?
白いヒツジの顔と足をそったらどうなるの?
この疑問も当然のこと。
物事を考える時、規則性を見い出し、並べ、整理してからまとめてゆくが、
こうなると、もうどうしたものかとわからなくなる。
白いヒツジの毛を剃ったら、黒い肌が出てくるかどうかなんて、通常ないであろうパターンまで
考え始める。 先ず、物事を知るためには、検索と経験の両面からのアプローチが必要と考える。
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冬の夜、急な雨に降られての帰り道はあまりに冷たい。
タクシー?、お迎えを呼ぶにしても雨の日に電話は必須だ。
今のように携帯で調べて連絡を取るなどの手段などはなかった。
駅前には数十メートルおきに今も電話ボックスが並んでいる。
中には電話帳が置いてある。
古き良き街には、古き良き時代が撤去されることなく並んでいる。
便利になり過ぎて当たり前のように過ごす私たちが立ち止まって手間暇をかけたり、
無駄に思える時間に、実はどれだけの大切が息づいているか、
見失わないように、無くさないように、と語りかけていることすら忘れられそうになっている。
久し振りの定例会は、昭和の常識が満載で、際どいジョークも
互いをわかり合ったゆえの応酬で、そこには透明な笑顔があって、ひさびさに
スカッと笑わせていただいた。 冬の雨、ココロの暖炉。
みんなに、温かく迎えていただいて、どうしようもないうれしさが込みあげた。
ご心配おかけしましたが、ボチボチとやってます。
みんな、ありがとう。
写真は帰りに見ていくといいよ教えてもらった、けやき通りのイルミネーション。
たくさん話ができてよかったよ。
みんなアリガトウ、あったかな例会でした。
(ウッチ、たくさんの話と、最後、傘さして送ってくれてありがとう)
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まさか、ひょっとして以前に餌をあげたことを覚えている?
餌をもらった誰かに似ている?
テレパシー?
今日は食パンを小さくちぎって持ってきたよ!
投げ込むふりをするだけで、遠くの鴨が「ワレモ、ワレモ」とやってきた
集まる、集まる
だが、手にした袋のパンがなくなると、いつの間にか鴨たちは遠ざかって居なくなった
すると目の前になんと・・・
まどろむようにカモ一羽
まるで浮かんだスヌーピー
水面に頭、預けるように
クビまっすぐに伸ばしては
寝ぼけ目で、脚こぐ姿の愛らしい
君はまだ夢の中?
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いつだって、夕暮れに今日という日を想いかえす
いつだって、夕暮れは寂しげな風を連れてやってくる
いつだって、本当は・・・ そんな想いがこみ上げる
いつだって、本当は・・・ こうであればと想う
いつだって
いつだって
・・・愛する人の、愛する季節、誰も奪っちゃいけない
いつだって
いつだって
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Dementorは魂と命を吸い取る吸血鬼
映画ハリーポッターに登場する創造の生き物?
「エクスペクト・パトローナム(Expecto Patronum)」は吸魂鬼(ディメンター)に対する唯
一の防衛呪文。最も幸せな記憶を思い浮かべることで吸魂鬼の邪悪な力に対抗し打ち勝てる呪文。
守護霊を呼び出す呪文で、守護霊の姿は人によって異なる。
たった一度の幸せでも、人は自らの魂を守ることができる。
必要なのは勇気、さあ立ち向かおう!!
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頭上をカモメが何の音もたてずに通り過ぎていった。 ・・・翼をひろげるとデカイな。
悠々とした後ろ姿はたくましく、命の造形美は見るほどになんと美しいsymmetryなことか。
港を周回するように対岸を外海に向かってゆったりと羽ばたくカモメ。
気流をうまく捉えては素早く上昇してみせる。
・・・その姿を見て自らに問う。
羨ましく思うか、素敵に思うかの比率を自分の落ち着く姿に当てはめてみると答えを垣間見うる。
自らは困難であっても、素敵に思う比率が高まるほどに、外に向けてはできるだけのことをして、
自分にとっては頑張りに無理のないバランスで事に当たるとココロは落ち着いてゆくのがわかる。
as possible as I can.
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フラワーリースは環状になることで、途絶えることない永遠の幸せの象徴を意味する。
環状(永遠の意味)の観覧車の向こう側ではジェット機が多くの夢や思いを乗せて飛び立った。
歳をとると、どれ程の時を遡れば未来に向けた感覚に出逢うかは夢の中だけのことかもしれない。
先日、身動きの取れなくなったおじいちゃんは、内科の先生の治療の甲斐あって椅子に座り食事
もできる様になり、基礎疾患への新たな取り組みは必要だが順調に回復に向かっている。
少し傾眠傾向にはあるが大きめの声をかけると、以前のようではないにしろ受け答えもできる。
いつもは「何もせんでくれ」と言うおじいちゃんだが、早くいつもの笑顔で、なるほどと感じさ
せられる我が道(自論)の話を聞かせて欲しい。
そして、また、ふたりで、何事もない平穏な日々を迎えていただきたい。
・・・今はただ、そう思い、そう願う。
]]>
ココロが帰港を迎えるとき・・・
お疲れ様
いかがでしたか
待っていましたよ
・・・の言葉が生まれ
ほっとした気持ちの中から・・・
笑顔と
輝きと
高鳴りの後に
・・・ヤスラギが訪れる
「おかえり」
]]>
1/25の朝、明日の診察に向けおじいちゃんはいつものように採血にやってきた。
午後、携帯に連絡が入り検査の結果が良くないとのことだった。ここからは少しだけ専門的な話
になるが、CPKが5000以上になっているとのことだった。来院時の様子を聞くとだるいとは言っ
ていたが自力で帰られたとのこと(タクシーを呼ばれて)だった。普段はコミュニティーバスか
徒歩で来られているのに明らかにおかしい。早速クリニックに戻り、データをチェックすると、
肝機能、腎機能も影響が出ており、炎症反応も正常の20倍はある。 横紋筋の組織が急速に壊
れる横紋筋融解症だ。内科医師と相談しMB分画をチェックすると少しだが高い。胸痛の訴えはな
かったそうだし、横紋筋融解症だろうが心筋梗塞の可能性も完全に否定はできない。おじいちゃ
んの携帯はオフで、自宅の電話もつながらない。横紋筋融解症としても重傷で充分量の水分を摂
らないと人工透析が必要になる可能性が高い。時間は立つばかりで連絡が取れない。
どうにもならないから・・・
【緊急連絡】と赤で目立つように見出しを付けて、「胸痛があれば救急要請をかけること、腎臓
を守る為に明朝受診するまで1500の水を飲むこと。まず間違いなく薬剤性の横紋筋融解症である
ことから受診するまで服薬を中止とすること」・・・と自宅のトビラに張り紙をさせてもらった。
翌1/26はもともとの診察予約日であったが、午前の診察時間には顔を見せてもらえなかった。
気になって再度ご自宅に向かった、すると公団の一階の階段でうずくまる様に座り込んだ男性の
姿があった。
それはいつもの姿とはかけ離れ、疲れて果て息苦しそうな顔から上目遣いのギョロッとした眼差
しが覗いていた。人違いではないかと思い「○○さん」ですかと声をかけて確かめた。
するとうなずかれ、自宅から出てはきたが体が動かずに、立つこともできずに座り込み、そのま
まになってしまったのだった。「奥さんは」と聞くと「上や」とこたえ、5階まで迎えにゆくと
降りてこようとする奥さんに逢い、一緒に一階まで降りてきてくれた。
老夫婦にとってエレベーターなしの5階は相当にきついものであるに違いない。
車をすぐ近くに停めることができず、20m程の道のりを抱くようにして何度も休みながら歩いた。
途中力が入らず、ともに膝をついてしまうこともあったが、大事に至らず助かった。
二人を乗せクリニックに向かった。クリニックの玄関先からは応援を得て処置室で点滴を始めた。
到着時、声も言葉も出ない、体も殆ど動かない状況で、血液データはさらに悪化していたが、間
に合ってよかった。多分間に合ったと思う。今まで奥さんはそれなりにしっかりしているかと思
ったが、それなりに訪れるものが訪れており、ニコイチの支え合いで成り立っていると思った。
時として、どうすればと躊躇することはあるが、気になることは、やはり一歩を踏みだした方が
いいのではないかと思った。力になれることはなれればありがたいと思うし、相手に負担をかけ
るようことにならないか(誰もが気づく玄関ドアに、個人情報をはりつけたこと)と気にもなっ
たが、その時はココロからの謝罪することを許してもらえたらありがたいと思って、自分なりの
大切の順番を守れてよかったのだろう(充分量の水分を取り腎臓機能の保護に出来得ることをし
ていただけたこと)と思う事案だった。
まだまだ、至らないところ、気付かないといけないところは多い。
気持ちを理解しきらずとも、くめるようにできたらと思うが、後になり反省することは多い。
同じ空の下で思う
・・・どうか二人をお守りください。
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今という時代に、便利でありがたいことも、過ぎては人生で出会うはずの感動に巡り合えない。
今思うとチョット面倒だが、その手間暇にぬくもりが宿り、それを知ると感謝と喜びに出会う。
事故や事件を未然に防ぐ技術は進歩したが、それらを利用した人為的災いや犯罪が増えた。
マッチ一本火事の元が、スイッチひと押し詐欺の罠にもなる。
人間らしいとは、いったいどの時代どの場所から見た景色のことを言うのだろう。
世の中の進化に見える事象は実は競い合う姿で、ココロは一体どこに押しやられるのだろうか。
救いは今日の自分自身を顧みるココロの中の違和感が教えてくれることだろう。
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これといったものが何もない散歩道に見えるが、
右手には高く積まれたパイプの塊がせまり、
左手には雑草で埋め尽くされた小さな川がある。
路肩の左側を踏み外すと落っこちることになるが土手道の境界は雑草でわからない。
右手に摘まれたパイプがぐずれ落ちる確率は低いがその場に居合わせると大事故になる。
一方、道を踏み外す確率のほうが高いが、生死には関係するような大事故にはなり難い。
気が付くと踏み固められた道の左側を歩いていた。
「潜在意識」と「深層心理」
どちらも自分では気づいていない、心の動きや意識。
自分では気づいていないという点は共通しているが、
それが「心理レベル」なのか「意識レベル」かで異なる。
【潜在意識】メンタルトレーニングで鍛えられるのが潜在意識。(潜んでいる能力)
【深層心理】心理学でよく使われる動かしがたいものが深層心理。(最も根幹となる思い)
潜在意識の中に深層心理が潜んでいるのだろう。
今日、感じ取った感覚は潜在意識というものであったといえるだろう。
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鮮やか色した季節があった。
あの頃は気づかなかったが、今という時を迎え、見渡すと、
今という時代に無理をしてまでついてゆこうとしないのは怠慢なのか、付き合いが悪いのか、
身勝手なのか、独りぼっちに思うことがある。
たくさんの方にお世話になりながら、そんなことを思うこと自体が全くの我がままにちがいない
と思う自分がいる。
だからなのだろう、せめて少しでも自分なりの役立ちができればと、無私の自分の役を演じよ
うとしているのかもしれない。
いや、演技などではない。間違いなく本気だ。
仮に演技だとしても、それは間違いなく全力投球の本気の演技だと言える。
「その姿は私だ」と言葉にせずとも、自分自身のココロの中で思えるようにしておかないと、
何ひとつろくに役に立つこともできない寂しい奴だと思いこんでしまいそうになるからだ。
思えば、
鮮やか色した季節があった。
パステルカラーが溢れていた。
そして時を経て思う、セピア色したカラー写真ほど胸を締めつけるものはない。
人にはそれぞれにとても大切な愛する季節があって、
それは誰も奪っちゃいけないものだ。
今はただ枯葉を踏みしめて歩むとき。
足音は季節のオブリガット。
君の愛する季節、誰も・・・
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国道のトンネルの出口で足止めにあった若者
大丈夫、もう少しだけ待ってね
雨は小降りになってきたから
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迎えた朝は雨。
何かの、順番を待つように、
シズクは真珠の首飾りのように木の枝のそのまた先の細い枝に並んでいった。
シズクに抱えられた光と影は揺れながら、今までの輝いた時と陰った時が次々と映し出された。
こんなにも、あんなにも、素晴らしい一瞬があったじゃないかって、へこみそうになったり、
へこんでしまった時にはそう自分に語りかける。
自分自身の抜け落ちた時というふさがらない穴からの浸水は強がっても収まりはしない。
だが、いただいた気持ちへの感謝と素晴らしかった時への感謝の気持ちだけは「ガンバレ自分」
と役立とうとする原動力になり沈没事故を未然に防いでくれている。
おひとりで生活されておられるお年寄りは意外と多いが、その支え合いや助け合いもそうだが、
生き抜こうとする姿には、頭が下がる思いだ。
それどころか自分自身の日々の励みになってくれている。
誰もに光と影はあるだろう。
だから、想いが輝いた一瞬でココロを埋め尽くすことができますようにと・・・ そう願いたい。
その為にできること、力になれることがあるならばと感謝の気持ちを忘れずに今日に臨みたい。
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魔法の言葉をが届いた。
すると胸のあたりがあったかくなって「こちらこそ、ありがとう」って、
そしたら、僕も届けることができたらって、そんな思いがやってきたんだ。
すると・・・
言葉では説明のしようもないが、雪解けのように、気持ちがほどけてゆくのがわかったんだ。
僕は愛犬とのしあわせの日々を思い出していた。
僕と、君の揺れる耳とシッポの影が、明日に届きそうなほどに長く伸びて黄昏のなかを踊ってた。
魔法の言葉は、言葉にするときも、頬ずりするときも、「ありがとう」の気持ちを
大切に大切に、そっとそっと包んでゆくように、ひとつひとつの言葉に与えられた思いを守り
ながら届けることだろうって思うんだ。
「アリガト」 ・・・「ワン」
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一月の冷たい小雨が降る小川沿いの道でのこと。
川端に咲く水仙を摘み、手押しバギーの後ろポケットに刺したその横には何枚ものビニール
買い物帰りと思いきや、バギーの中はたくさんの毛布でいっぱいになっていた。
よく見ると、歩けなくなったのだろう。
毛布の中からは、老犬が顔をのぞかせていた。
きっと老犬はおじいちゃんのことをずっと大切に思い、寄り添ってきたのだろう。
君は僕の大切な家族。
おじいちゃんは「心配するないつも一緒にいるからな」と語りかけているようだった
もうすでに、永遠のときの中を歩き始めているかのように映った。
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午後のテラス
白いチェアー
ここには誰の姿もない
限りなく透明な時空のなか
君を置く
僕を置く
ゆっくりと目を閉じる
するとあの日とおなじ風が流れ、フィルムは回り始めた
ココロが動いた
ココロが話し始めた
耳をすましてみる
聞こえる、聞こえる
あの日、あの時、あの場所でないと吹くことのない風の中
シアワセのとき
突然に・・・
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その昔、写真はフィルムの現像という作業があってはじめて絵になった。
そこには不規則な粒子が語り掛けるやさしさがあった。
同じく人の手になる写真なのに、
デジタル画像のドットはイエス・ノーを迫る時代の到来に思えた。
デジタル社会の足元で、その底辺を支えているのは人なのに、
本当はイエス・ノーにはできない答えたちが、語れないまま息を潜め、
「こっちですね」で済まされたり、時を迫られるように道を強いられることはありませんか。
そのような風潮の中、本当は大切だったのに、こぼれ落ちたものが何であったか、
覚えていますか?
忘れ物はないですか?
その勇気は誰かの大切を守ることができるのではないですか?
そう自分に問いただしてみる。
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輝くとき
眩しい季節
青空とまっ白な雲
波の音
はしゃぎ声
届くことのない焦がれ
枯葉を踏みしめ歩く音
空が低く暗くなる季節
多くの季節に心揺れた
「ぼっち」は教えてくれる
「ぼっち」にもいろいろな形がある
「ひとりぼっち」 に 「ふたりぼっち」 、 「みんなぼっち」 に 「それぞれぼっち」
私の方が正しいという気持ちがあると争いを生む
その陰には嫌な思いをする人がいることを忘れないで・・・
自らの思いを語れない人がいることを忘れないで・・・
人を傷付けないで済む方向にかじを切ればいい
「生かされている」と思い合えるなら・・・
ココロ休まる方がいい
それがいい
ココロは、自分以外に目を向けることを忘れがちになるから
人それぞれの大切の順番は、あなたを守る為の物であり、誰かを守る為の物でもある
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田舎の交差点だがピントを外すと街の灯りやテールランプの灯りがにじみ始める。
今まで随分とたくさんのクルマを見てきたものだ。その昔「いつかはクラウン」というCMが
あって、堅実な歩みの最終目標となる存在だった。その上位にあるのは「センチュリー」とい
って、自らハンドルを握ることなどない特別な地位にある方のクルマだった。
販売体系もデザインも変わったし、堅実という言葉と対峙する者が社会構造を変え「いつかは
クラウン」という言葉の持つ、あこがれやぬくもりの意味が薄れたこともあるだろう。
自分と言えば「いつかはℤ」と若いころから思っていたが、あこがれはあこがれのままだ。
うまく言えないけれど、所有せずとも、見かけるたびに「アッ」というときめきに似た空気が
胸に満ちるのがたまらなくて、このままでいいのだ。見かけるたびに得した気分になるのだ。
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左から順に ? 大川峠
つぎに ? 友ヶ島は「沖ノ島」「虎島」「神島」「地ノ島」の4島を合わせた無人島群
海を挟んで ? 淡路島
一番奥は ? 徳島(四国)の山並みだ
風は冷たくキツイ、今日はここで撮った数枚だけで終了
夜半、この先の作業はまた明日
やらなきゃいけないことがキャパを超えた オヤスミナサイ
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まっすぐに見る。
気に留まることが表情になって、振り向いたのかな?
写真家いわく、「アートの道で言うならば、写真の解説は、ないほうがいい」と。
見ていただ方に、それぞれの世界を描いていただく作品になればいいのだが・・・
その意味では、私は記しすぎかもしれない。
・・・だが、記さないと写真が迷子になってしまうこともある。
実はね、ついさっきまでワン(Honey)ちゃんにペロペロと舐められっ放しで、
very hapy だったこと、どうしたら、その感覚が消えないうちに無条件な喜びを届けて
感じ取ってもらえるだろうかって思ったんだ。
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冬至の頃からすると、日没が10分あまり延びたそうだ。 (2024.1/11)
日没は10分遅れでも、夕暮れ時がそれ以上に延びたように思うのはどうしてなのだろう。
スズメたちは温もり逃がさないように羽毛を立て、そして体を寄せ合う。
端っこにいる君は大丈夫かな?
訳があっての立ち位置は誰にもわからないから、
もし尋ねられることがあればこたえられるようにして、
寄り添いだけは忘れないようにしよう。
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「オーイ、メーメーちゃーん」「こんにちはー」
今日も人懐っこくトコトコとやってきた
寄ってきた、寄ってきた
ワオ、レンズにヨダレが付いたぞ
今日も仲良く
触れあうハッピー
「アリガト」
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静かな朝を迎えた。
いや、能登半島沖地震の報道を伝え聞いた身としては、迎えることができたというべきだろう。
地震でお亡くなりになられた方と羽田空港で起きた航空機衝突事故で亡くなられた5名の方と
2匹のワンちゃんのご冥福をお祈りさせていただくとともに、被災されれた皆様方には心から
のお見舞いを申し上げます。
かつては、被災地に出向かせていただいたこともありますが、自らの存在理由を学ばせていた
だくいい機会になりました。
今では募金活動に参加させていただくことしかできませんが物理的な砂漠の砂の一粒の応援で
あっても、それが集まって応援しているよっていう多くの人のぬくもりとして伝わり、少しで
も役立てばと思っています。
・・・同じ空の下で、同じ空気を吸い、僕らは生かさせていただいている。
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急に空が低くなり、あたりは急に暗くなった
最初は霧のような雨だった
そして、あれっ、まん丸な白い粒が地面で跳ねている
あっという間にポン菓子をつくるように、白い粒は密集して跳ねだした
みんなが空を見上げた
それから少しして、雨が混じりだすと、誰もが軒下を目指し
小降りになると急いで帰路につき始めた
この冬初めての雹(ヒョウ)は一瞬のことだった
雹にあった事、冷たい雨に濡れたこと、指がかじかんだこと、どれも幸せに思った
帰るとストーブが待ってくれている・・・
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浮かぶ、着水する、とまる、
つれそって飛ぶ、
鳥たちは、集団で行動するもの、2羽で行動するもの、単独で行動するもの、と様々だ。
普通、カモメは単独行動だがイチニチが終われば、仲間の待つ海に帰り皆と一緒に休む。
合宿生活を思い出す。 ・・・そう、消灯したら(日が暮れたら)オヤスミといったものだ。
カモメたちの夜は、テトラポット、波止場、河川敷で休む様だが、波止場近くの海に浮かんで休
んでいる姿を見たことぐっすりと眠れるのだろうか。眠れるのだろうか。
一方、いつの日からか「時は無くなってゆくもの」という認識がしみつき始めた自分にとって、
仕事を終えた後の自分自身の時間は・・・ 日中に自分のできる限りの範囲だが、追われるよ
うな状況であり、それに反発するように、ついつい気の向く事から始めて、気が付けば今日とい
う日をはるかに超えタイムアップを迎える。
心して取り組めばできるであろうことも、気にせず、気ままに思うままに進めている。
こういったことがよくないとされるのは、先に済まさないと困ることがあるのに、悠長にも優先
事項を後回しにしてまで、ココロの赴くままに進めるということだ。
だが、いいところもある。忘れる前に教訓を書き留められるということだ。
物事に無駄はない。巷に言う「無駄」は決して無駄ではないと言えるように尽くしたい。
何事も「無駄であった」などと語らなくてもよい自分でありたいと思う。
「無駄かもしれないことを語り合う」ということは、互いを知るうえで、大切なことだと思う。
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羽ばたく水鳥たち、その躍動(命)にはそれぞれに限りがある。
限りがあるから、知らずと輝く。
その姿にこころは揺れはじめ、
やがて喜びが響き合うように伝わって、
嬉しくて・・・ 嬉しくて・・・
ただ輝いていてと願う。
自然な気持ちだけに包まれる喜びがある。
限りあるものだからこそ、感動という無限の世界が生み出される。
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公園の壁には目を惹く写真たち
姿は見当たらないが
作品を眺める人影だけが
その素敵に引き寄せられて離れることない時が流れた
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猫も・・・
杓子も・・・
その語源は・・・ 「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も」 からくるらしい
その意味は、「みんなが」「誰もが」ということだ。
女子(めこ)というのは女性、弱子(じゃくし)というのは子どものこと。
つまり、「女も子どもも」という意味。落語の『横丁の隠居』に出てくる話が起源とされ、
「女子も弱子も」を「猫も杓子も」と聞き間違え、世間に広がったとのこと。
ネガティブな方向に使われがちだが、肯定的に使えば世界観すら変わりそうだ。
「猫も杓子も助け合い、良い一年となりますように」と・・・ いい意味で使いたい。
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本当は120度ほど時計の針方向に回転すると、本来の撮影した時の像になる。
マーベリックは命を懸けてフライトの任務に向かう、命を懸けて仲間を救う。
そして、命を懸けた仲間に助けられる。
あり得ない角度とスピードで飛行する任務に就く。
すべては過去に救えなかった友への後悔の念が故、
その友の子を救うため、背面であれ側面飛行であれ、困難を乗り越えココロの安息を得るため、
ココロからの友情を伝え届けるため、命すら惜しまず、全力を振り絞ったフライトに挑む。
それがマーベリック。
能力はおろか、それ以上に怯まないココロだけでも近づくなんてできることではないが、気持
ちの方向性だけでもココロの中に画いてみると、届くなんてことはあり得なくても、気持ちの
整理ができて、いい方に向いて歩めそうだ。
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