みさき公園に「ありがとう」ってお礼を伝えてきました。
JUGEMテーマ:日記・一般
「公園内において、行商、トバク、車両の乗り入れ、蓄犬、空気銃の持ち込みなど堅く禁じます」
ウーン、・・・ 昭和で止まったままの立て看板だ。
その昔、遊園地に続く道には、日よけの頬被りを巻いてまぶしさに目を細めた「アイスクリン」を売るおばちゃん
達が並んでいた。 駐車場と駅に向かう分岐点のこの場所が一番繁盛する場所だった。
場所は変わらないが、入場券売り場の改装後の雰囲気は平成の後半っていったところだろうか?
僕と同い年のみさき公園
ありがとう
お疲れ様
ここには僕の童心に通じるものがあったり、子供たちの想い出となったり、
宝物となり、永遠の時がきざまれている。
桜の季節を迎えた。
よく桜の木の下でシートを引いて花見をする姿が見られたものだった。
子供たちがキャラクターや戦隊のショーなどを見て楽しませてもらった場所だ。
僕が子供の頃にはこのような屋根付きの施設はなく、この場所か、もう少し入り口の動物園に近い屋外で、
「木下大サーカス」のショーを誰もがを見れたのを覚えている。
それはすごい人で埋め尽くされて、綱渡りの場面が遠い記憶に残っている。
シマウマとの初めての出会いもここだった。
なんと大阪らしい表現だ。
そして平和そうに映るラマ。
眼差しが優しい。
お猿さんの山には必ず行きました。
いつもこの山のどこかでこんな光景を見かけました。
お猿さんの山の近くの道端のベンチ。
ペンキがはがれ落ちては何度も塗り重ねられていた。
今の時代をけん引しているかのように見える大型レジャー施設ではこのようなベンチの存在自体が許されないだろう。
決して失くしたくない人の手になるココロからのぬくもりがここにはあった。
回転するティーカップ。
以前は随分とシンプルなコーヒーカップだった。
10年近くも前になるだろうか?
箱作の海岸線にある廃屋の隙間に放置されたオリジナルのコーヒーカップを見かけたことがあった。
確かクリーム色だった気がする。
おもいっきり回して、降りてくるころには目が回ってフラフラになった事を思い出した。
手をつないでみんなではしゃいでゆく道。
いつの間にか、施設に加わった「イルカショー」のスタジアム
何度か行った。
色んな思い出がある。
館内の竜宮城に見立てた電車が途中で停電して止まって子供が真っ暗の中「助けて」と大泣きしたこと。
最後の想い出は脳梗塞になった父と車いすでおとずれた時のことだ。
今思えば、父とは具合を悪くしてからも、あちこちと行き、それなりにいい思い出作りができて良かった。
この道を新たな恋人たちが歩く日がもう来ないのかと思うとなんだか・・・
坂道と並行して、確か一人乗りのリフトがあった。
リフトに乗ると、前後のリフトとは距離があるので大声を出さないと、声が届かなかった。
坂を上り切ったところにあるのが観覧車だ。
元はもっともっとちいちゃくてもっともっと簡素な形や色だったと思う。
乗ると、ギギーっていう音がして怖かったことを覚えている。
それでもやってくるたびに乗ったものだ。
近くにはジェットコースターがあって、今にして眺めると大した勾配でもないのだが、
幼いころには、その急降下の怖さはこの世のものとは思えないのものだった。
この年配のご主人もそんな思い出話をしているのだろうか?
大人になってからだけれど、カートにも乗ったことがある。
ジェットコースターに別れを惜しむ列は坂道のずっと下の方まで続いていた。
坂を下り切れば、ゲートに向かう道になる。
いっぱい、いっぱい、お世話になりました。
走馬灯のように想い出が駆け巡った。
あなたに逢えて幸せでした。
卒園日までに間に合って良かったです。
長い間ありがとうございました。
もう一度、ゲートの前まで戻りたくなった。
「ありがとう」
みさき公園は僕の心の永遠の園になって生き続けます。
家族の思い出が一番多い場所…。
残して欲しかったなぁ…。
たくさん写真をアップしていただいて、ありがとうございました。