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篠了平(しの りょうへい)公式ブログ!

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2018.11.24 Saturday

晩秋を行く、心を洗う、

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    JUGEMテーマ:日記・一般

    晩秋の参道

    静まり返った瞬間がキネマのフィルムのように繋がってゆく

    心を広角にして見上げたり

    足元に目をやったり

    マクロの世界に飛び込んだり


    トタン屋根の端から覗いたり


    スレートの屋根を埋め尽くす景色に出会ったり

    日々の思考錯誤のようにあたりの場面は変わってゆく。

    なのに、自然の摂理にはひずみを感じない。

    自然界の移り変わりは無理などのない時の経過だと感じさせられるからだろう。

    僕は「愚痴聞き地蔵様」に話を聞いてもらった。

    少し時を置いて、自らの行き届かないところを探す自分がいた。

    つくそうとすることで、結果は見えなくとも進むべき道を見出すことができるということに気づかせてもらった。

    思いやりは、思いあうことで、その持てるぬくもりをより育むことができる。

    かなうなら、文字よりも言葉にして直接ぬくもりを届けよう、教えてもらったぬくもりを届けよう、

    学んできたぬくもりを届けよう。

    理想の姿があるとすれば、自分のことなど忘れて、気遣う気持ちを届け合えるのがいい。

    そして、人として至らないことや過ちがあった時には、すまなかったという気持ちを持ち続けなければならない

    だろう。

    でも、結局はできるだけのこと、できる範囲のことしかできないが、そういった思いがあるのとないのでは大きく

    違う。( 多くの問題は自分だけのファクターや思いでは済まないことだから、新たな波紋を広げないためには、望まな

    い人がどこかにいる場合には、触れてはならない問題だったということになるのだ。 )

    それに、理解を深めるためには、僕自身、ひょっとしたら聞き上手じゃないところがあるのかもしれないし、

    その上に、話してもらいやすい人になる努力も忘れてはならないだろう。

    そんな思いも忘れないように心の片隅において、時々その引き出しを覗くようにしようと思う。

    無理はできないけれども、今できることをして、今日を歩もうと思う。

     

    心が健康でないと無理が利かないどころか、日常の対応すら問題を生じていないか、

    周りに迷惑をかけてしまってはいないかと心配になる。

     

    本当のところは、身も心ものんびりとしたい。

    その過程だと思い、今を歩いている。

     

    美しいものを見たり、大きな心を持った人に出会うことで、僕の心は救われている。

    あるべき姿を教えられ、進むべき道が見えてくる。

     

     

     

     

     

     


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