night fall (たそがれに哲学)
JUGEMテーマ:日記・一般
マリンブリッジを見上げるとつり橋のワイヤーが張り巡らされている。
弦楽器を奏でる者にとっては、チューニング(調律)は? 音程は? どんな音? って思ってしまう。
きっと、聴覚では聞き取れずに振動覚で感じるような極超低音なんだろうな。
たそがれも終焉に近づき始めたスカイブリッジ。
青が深くなってきた。
近頃では日も短くなり、一日の終わりの時間というものをこの辺りに感じている。
最近はわかりやすそうな哲学の本というか哲学の解説の類の本を手にすることがあって、そうだなと思うことも
あるが、よくわからないとか、理解の手がかりさえつかめなかったり、全く理解できなかったり、時にはそうは
思えないよななどと感じたり、もしくはそうではないと思いたい自分がいたりもする。
そういったことを、無理に当てはめようとすると、その無理が明らかな負担となってその重量に息切れするのだ。
例えば、「道理」や「道徳」や「倫理」について考える時、言葉に定義して説明しようとするから、説明しきれ
無かったり、補うのに矛盾や曖昧や誤解を生むように思うのだ。
心意気で済ませれれば良いものを、物理的に分けようとするのには、これらの緩くさり気なくつながっている和
が崩されてしまうのではないかという不安な気持ちに侵襲されるのだ。
これらの言葉は、おおらかにやり過ごせるようにできるのが、平和でよいことのように思っているからだ。
「道理」や「道徳」や「倫理」は、「心のあるべき道筋」であり、「絶対とは言えないが概ね正しいと判断でき
る決めごと」であり、「自主性を持った善」であろうかと勝手な考えかもしれないが自分なりに理解している。
しかし、それだけでは、振り回されたり、ココロ穏やかでなくなる人たちもいるということも忘れてはならない。
無理があっても頑張る人、社会的に立場の弱い人、このような人にとって、物理的線引きが身や心を守る鎧となる
と思えるからだ。
社会的強者の人思いの欠如や不足、そういった立場にある人の気づかぬ傲慢が、結果として、本来、人間愛があれ
ば持ち出さ無くても良かったはずの、鎧を必要とする人達を生むことになり、どんどんとコミュニケーションが断
たれる方向に向かうのではないだろうか。
物事は軟着陸が基本だと思っている。
もう少しだけ頑張ってみよう。
少しでも良い答えが導き出せたらいいのだが。