漂着物の今昔
JUGEMテーマ:日記・一般
ゆっくりと流れる時。
浅瀬に流されてきたミッキーに見える小さなプラスチック片と貝殻のカケラ。
可愛く見えても、プラスチックに変わりはない。
時が経つとマイクロプラスチックとなり、多くの海洋生物が生命の危機にらされることになる。
海洋汚染として捉えなければならないこの事実は、人類文明に導かれた私たちの反省すべき過ちだ。
コンビニの袋を飲み込んでしまって亡くなってしまったウミガメの話を聞いたこともある。
これからの取り組みが自然環境保護にとって重要になってくることは間違いない。
以前は、漂着した綺麗な色の角の取れたガラス瓶のカケラや貝殻拾いは楽しいものだったのだが・・・
結構な量のプラスチックごみが波打ち際で揺られていることにはびっくりする。
浜辺にたどり着いたちっちゃな貝殻。
それは命を守る為に形成されたものだったが、今そこに生命という形の息づきはない。
しかし、このカケラも長い年月をかけ、やがては海の一部となり、新たな生命の一部になってゆく。
「僕らはどこにたどり着くために歩み続けているのか」
そんなとんでもなく大きな「なぞなぞ」にぶち当たることがあるのだが、
それは、「大切な思いを守らんがために、日々の命をくべ続けている」ということなんだ。
近頃ではこの言葉が、先の問いの答えとして自分には一番シックリとしている。