今日という1日
JUGEMテーマ:日記・一般
午前中は仕事に追われ、午後からの面会の約束を忘れていた。
連絡を受けすぐに対応をさせていただいた。
いろいろなことに追われることで救われている自分を感じていた。
つらい思いから、仕事に逃げる自分がいるという感覚。
図星であることは間違いないと思う。
3時半から神戸で勉強会がある。
行くことで、自分の存在を確認しようとする自分がいる。
でもなぜだか、腰が重い。
勉強会のタイトルに惹かれないせいにしようとする自分がいる。
でも、行かなきゃと思う気持ちがある中、本能としていきたくないという気持ちがあって、
だらだらと過ごして、まるで三宮に行くには間に合わない時間が来るのを待つように時の過ぎるのを待つ自分が
いた。
そして間に合わなくなって、解き放たれる自分を感じて、おもむろにペダルを踏み始めた。
まずは日常である隣町のスーパーに向かった。
心が休まるのを感じた。
何かに支配されてしまいそうだった自分自身が、無事脱出できたような気持ちになっていた。
水平線は斜めであってもいいのだ。
自分が斜めになったり、カメラを斜めにしたりした。
田舎にはあり得ないバブルの象徴(高層ビル)の見える一本道があって、
センターラインのひび割れは補修されないままだが、まだ許容範囲で、
気が付くと夕暮れは驚くほどに迫ってきていて、
校舎は僕の宝物の時代で、
もう少し頑張りたいって思って、
僕は僕で、
夕暮れの最後に、もう少し余韻に浸っていたくて、ネガティブな思いの届かない情景をしばらく眺めていた。
僕の注意が足りなかった。
僕がわがままだった。
僕のやさしさや思いやりが足りなかった。
そう思い肩を落とす。
自業自得だし、迷惑をかけたことを後悔している。
しかし、それだけではいけない。
この先をしっかりとしてゆかねばならない。
これからの近しいかかわりは「信頼して待つこと」
昨夜このブログを書きだした頃、僕は支離滅裂になっていた。
今朝は7時前に起きて、来週来ていただく方の状況改善のための資料を集めて整理を始めた。
自分自身の存在意義の一つに、自分以外に向けて役立てることをすることで、自分も幸せにしてもらっている
というのがある。