道端に咲く、明るく咲く
〜 道端に咲く、明るく咲く 〜
車窓から何気ない視線で流れる景色を眺めていた。
ふと、風に踊る可愛い花の姿が視界に入った。
名も知れず、咲く花ではあるが、
厳しい自然界の中、可憐に映れど、揺るがぬ生命力がなければ、この美しさは息づくはずもない。
知るべきは、自然界の摂理の中、経験からくる学びという賜物だろう。
自然の摂理に抗うことなく、その中で幸せへの工夫を凝らすのが人のあるべき姿に思える。
「生きがい」を考える時、結果をすべてとする考えは、能力主義に走ると同時に、
真の信頼関係を築くことを困難なものにする。
秀でる必要などなく、エールを送ることは喜びであり、
むしろ、そうさせていただけることでいただく大切な思いは宝物といえる。
そう、普通であることが、とても十分にありがたいことなのだ。
気付かぬ見栄に惑わされるほどに、恥じるべきを知り、
自らの前のめり(自ら招く無理)がどれほど多くの迷惑を生むかをしっかりと思い、
自らを戒めるココロを忘れぬことが肝要だ。
支えようとすることは、すなわち支えられることでもある。
多くの温かな思いに恵まれ、
こころのこもったの挨拶をかわせること、「ああ、何と心地よいことだろう」
届けたいこと
失いたくないもの
それだけの思い、それだけの願い