さかさにたどる
JUGEMテーマ:日記・一般
植え込みのサツキと落っこちたイチョウの葉が乾かずにいた。
道端には散水用のホースがあった。
この辺りはバブルの時代に整備された市民会館の側道だ。
だからかどうかはわからないけれども、秋には立派なイチョウの並木の道が色づいて延びている。
春には緑の植え込みが赤やピンクや白の星型の花でいっぱいになる。
あの頃、おそらく世の中には浮かれるように誤った異様なエネルギーが人為的に拡散していたように思える。
今はコロナ禍で多くのことが低迷して大変だというが、逆に人の心は人を思う方向に向いたのではないだろうか。
限定して言うには心苦しいが、すなわち自分の発言に自信を持ってそうだと言い切れるものはないが、物理的に
粗になった時代が生きやすさを生み、やさしさを育む時間をいただいているように思えるのです。
少し疲れてしまった僕の勝手ではあるけれども、これが正直に感じている気持ちです。
(コロナで追い込まれた方にとっては、全く違う見方になることもあるということをどうかお許しください)
ぬくもりや暖かさを持つ余裕と時間ができると、一部だけを見て現場への理解の欠如という全体を見渡すことの
ない問題を持ち込む圧力があっても、許容できる策を現場の者たちで了解し合えるようにもなります。
そう、ココロにも時間にも余裕がないと、世の中が肯定か否低かに走る傾向が出てくるように思うのです。
結果、余裕をいただいたおかげで、こうして不要なトラブルを回避できるということはありがたいことです。
すると季節を感じながらの散歩の間、頭の中が空になって、何もない平和の時をいただけるのです。