篠了平(しの りょうへい)公式ブログ!

ぼちぼちと歩き続ける日々

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2018.11.09 Friday

日常

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    JUGEMテーマ:日記・一般

    大切なことは日常そのものであって、

    ハナマルでなくていいから、何とか可であって不可でないことを望んでならない。

    世の中を渡る風に吹かれるとき、

    感情を優先させなければ、ぎりぎりセーフってことはままあることだ。

    どんな立場の人もそれぞれに苦労はあるはずだから、お互いさまって気遣いあえれば何とかやってゆけると信じ

    たい。

    なのに自我のために、立場を利用して都合のいいようにしたり、結果、人を傷つけるやつもいる。

    人が困る姿を見て楽しんでるんじゃないかって思ってしまうひどいやつもいる。

    恐ろしいことに、こういったことは、当人たちの中ではおそらく当たり前のこととして罪の意識などないだろう。

    せめて僕らは・・・と思うと同時に、   

    残された人生の割り振りからどうあるべきかを考えてしまう。

     

    今日は大創業祭の日、ス−パーの前に増設されたテントでは、

    立てかけられた値札を前に楽しいひと時が流れているのが見て取れた。

    僕は、幸せの在りかをまた一つ教えてもらった気がした。

     

     

     

     

     

     


    2018.07.03 Tuesday

    それぞれのまっすぐ

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      JUGEMテーマ:日記・一般

       

      それぞれのまっすぐ                             

       

            そこにはそれぞれのまっすぐがあって

            光と影があるにせよ

      そのまっすぐを応援することで僕らは成り立っている

       

       

       

       

       


      2017.03.30 Thursday

      穏やかな時

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        カメラを手に岸壁に立っていると一人の漁師に「いい写真が撮れましたか?」と声をかけられた。

        僕は「なかなか難しいです」と返した。

        その時、画角というものは、日常がいいし、その中のちょっとしたことでいいと気づかされた。

         

        いろんな事があった。

        そのたびに道を探した。

        ここは漁港の中、波も穏やかだ。

        穏やかな時が流れるからカモメも安心して羽根を休め、水面から餌をついばんでいる。

        いろんな事があったから、やわらかな時を過ごしたいとだけ、ただ願う。

         

         

         

         

         

         


        2015.09.14 Monday

        価値観を語る前に

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          マクラーレンのスポーツカー、中古でも2500万円





          フィアットのオールドカー、50〜220万円くらい



          世間の価値観に触れたり知る前に、必要なことは自分との係わりがどれほどのものかということで、

          これらの車ほど高かったり、実用性に欠けると、

          遠い存在で係わりなどないことは容易に気付くことができるのだが・・・


          しかし、以前から気になっている物で、手の届く範囲のもっと身近な物になると、

          どうしても必要な物でもないのに、勘違いをしてしまって、

          どれがいいのだろうと比べたりしてしまうことがある。

          以前には、ギターのチューニングの精度を求めてチューニングメーターを探したことがある。

          危ない、危ない。

          どうして買ってしまったのだろうなどと思うことなどないように、

          よくこの先のことを想定して、 もしも・・・というところを想像することはとても大切なことだ。


          ココロを救ってくれるものというものは、決して物質は主体にはなりえない

          物や自らに向かうことなどなく、誰かのためにと想う気持ちが、

          一番にやさしい想いに導いてくれることを忘れてはならない。














           

          2014.12.24 Wednesday

          今は、こんな感じ

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            実は、今はこんな感じなんだ。




            僕の未熟さがゆえにべったりと張り付いたメカニカルノイズの除去に悩まされている。

            エンジニアの「玉ちゃん」がいなければどうにもならない状況だが、彼はひたすらに、

            頑張り、助け続けてくれている。 ・・・そりゃ、ありがたい。 ホントにありがたい。

            彼がいなければ、僕は今日に至らず、とっくに壊れていただろう。

            最善に向け、今日もなんとか踏ん張らしてもらっている。

            なんとか明日につながっている。















             

            2014.11.22 Saturday

            なくさないで

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              精一杯がわかるからこそ

              値打ちという簡単な言葉では片付けることのできない価値感がある



              人知れずひたすらに歩み続けている人がいる

              だから、いっときの感情の勢いで、そんな人への決め付けと否定する言葉を発するものは

              自身を深く虚しくおとしめる結果となり後悔しか残さない



              何も語らずに歯をくいしばり歩き続ける

              僕もまた語らない

              意にせずとも、傷つけることの怖さは果てしなく深いからだ

               

              今日の僕の目には、冬に迫られた空は、感情をなくしてしまったような色合いにさえ映って見えた















               

              2014.11.05 Wednesday

              冬っぽい風景

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                木に残る葉の数が減ってきた

                寒そうな景色になってきた

                いろいろなことがあっても、耐えるという心境と

                なぜかマッチする情景だ


                このまま流されたりしないで、ちゃんと明日への道を歩まないといけないよ

                しっかりしろ自分



                           











                 

                2014.09.27 Saturday

                青空がのぞいた。     ・・・意思表示の持つ意味

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                  本人たちの口からの、はじめての意思表示があった。

                  彼らが彼らの思いを語ったかどうかはわからないが、

                  たとえ誰かが舵を取っていることだとしても、自体が進展に向かうことはありがたいことだ。

                  形として、意思表示の持つ意味は大きい。

                  なぜならば、それを叶えるべく進めばいいからだ。

                  出来る限りをもって歩み、その先は、結果として、個人の判断や感情が入ることは許されない。

                  社会としての判断を、責務を負う公人にすべて任せるということになる。

                  結果を受け、それ以上も、それ以下も求めてはならないということになる。

                  しかしながら、尽くすということにはなんの制限も生じないのだ。

                  ようやく光が見えた。

                  GO AHEAD !!









                   

                  2014.08.03 Sunday

                  どうか守ってあげてください

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                    この夏は、やりきれないことでいっぱいいっぱいの夏になった。
                    義理の兄のこと。
                    そして、今日の出来事のこと。
                    複数の悲しみが溢れてしまい、僕はどう精一杯を尽くしていいのかさえわからず、
                    やみくもに道を探そうとしている。
                    小学生の頃、田中町のアスファルトの道で、一匹の可愛い子犬がいた。
                    そこに1台の乗用車が勢いよくやってきた。
                    僕はとっさに「危ないよ」って、「おいで」って手を差し伸べた。
                    次の瞬間、子犬は走り来る車の方に走り出し轢かれてお星様になってしまった。
                    今日の僕は、あの日の感情とよく似た感情に支配されている。
                    良かれと思う気持ちが招いてしまった不幸と向かい合い、
                    たとえ、ちっぽけなチカラにしかならないかもしれないけど、
                    出来ること尽くしてゆかなければ、人として歩まなければと自分に話しかけている。

                    何もないことの、平穏な日々の、この上ないありがたさを身にしみて感じる。
                    自分のいたらなさがやりきれない。
                    誰ひとりとして不幸になんかならないで欲しいと、ひたすらに願う。
                    心平穏な日々はやってくるのだろうか。
                    こんなにダメな、イタラナイ僕なのに、
                    頑張れって、負けるなって、励まされ生かされている。
                    僕にできるすべてを尽くすことが一番大切な道だ。
                    誰も不幸になんかなっちゃいけない。
                    目が覚めるたびに胸が苦しい。
                    みんなが悲しい思いなんかかかえなくていい日がやってきますように。









                     

                    2014.07.25 Friday

                    真実を問うよりも大切なことがある   

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                      真実はひとつであろうが、誰もそれを証明することはできないことだってある。
                      なぜなら、真実がまぎれもなく存在する事だとしても、
                      そうじゃないと思っている、もしくは願っている他の心があるならば、
                      もうそれが偽りだとは証明することはしにくくなる上に、
                      証明したところで、当事者の心に何の落ち着きどころも生まれないと思われるからだ。
                      これで本当にいいのかどうかを認識できるかどうかは、その当事者の心に委ねるしかないからだ。

                      僕は思う、いつの世も、ひと時の感情に流されることなく、
                      大局的に、嘘偽りのない世界の中で、相手に不利のない道に導くことが大切なポイントだと。

                      力ずくでは何ひとつ解決に導かれることなどはなく、まっすぐに正直に生きてきたものほど、
                      這い上がることのできない程の傷を負い、傷つけた方はしたことの重大さに気づくはずもなく
                      悲しいことに、それをあたかもどうだと言わんばかりにあざ笑う者もいる。
                      なんと嘆かわしいことだ。
                      僕は、相手を尊重するために、自分の歩み寄れるギリギリまで歩み寄り、解決策を考える。
                      それ以上のことは、今の僕の尺度では思い浮かばないし、僕にできる精一杯のところだ。
                      自分自身の尺度を捨ててしまえば楽にはなるだろうが、それでいいのかと自問する自分がいる。
                      より多くの問題にちゃんとした対処ができているかどうかは周囲からの評価に委ねる他ないが、
                      社会での尺度も鑑みながら、自分なりにブレない尺度を持って、
                      多くを、悩みながらも解決にあたる他はない。

                      真実はひとつであろうが、もし証明できることがあったとしても、人の心は救われない。
                      大切なのは、問題に向かうプロセスの中で、決して相手を不利に陥れたりすることのないように
                      配慮した上で、自分の許容範囲の中で精一杯を尽くすことだと心している。
                      そうすることで、今一度、みんなが自問自答し、人としてあるべき姿を探すように向かうことで、
                      みんなが自分自身に対しても、他人に対しても正直な優しい気持ちで向かえるのだろうって思う。

                      そう自分自身に語りかけながら、毎日を刻んでいる。

                      人の笑顔というのは本当にありがたいものだ。
                      だからこそ、心折れそうになった時にも、頑張れるのだ。

                      明日は、一つでもたくさんの「ありがとう」を伝え会うことのことができる一日になりますように。









                       

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