JUGEMテーマ:日記・一般
〜 now and then (sense of direction)〜
駅前には、いつまでも、その姿を変えない古いビルがある。
その少し先には、古いビルの一角を改装した小さなお店がオープンした。
古くなった商店街の道を挟んで両側にある長屋のような3階建てのビルはその多くの店舗はシャッターは降ろし、
一方では、インバウンド需要のないこの街で、オープンの目処は立ったのだろうか、出来たばかりの駅ビルのホ
テルの外観は奇抜で、賑わいのない今は目立つことにためらいを感じる光景にも映る。
町おこしというものは何をどういう順番で考えてゆくのが正解なのだろうか。
今、常軌を逸したバブルの時以上に、乱立するかのように建てられた多くの箱は閉ざされたままになっている。
コロナ前ような状況が、戻ってくるとは思えないのは、感染に対する思いや、
ロシアのウクライナ侵略後の、中国との間の国家感情は良い方向に向くとは思えないし、韓国という国の先導す
る形によっても個人感情は大きく変化することを目の当りにしてきた。
これらの箱が、"open the box"となって、息を吹き返すかどうかは先行きが見えないのが現状だろうかと思う。
経験上、自らが正しいとあえて主張し言葉する国や個人に対し、良い印象を持ったことはないし、間違っている
と認識したことはあっても、正しいと思ったことはあまりないように思える。
日本という国の姿が正しいとは言い切れないものをかかえている。
自分自身の中にも、しんどかったり、つらかったり、大変だと感じるものを避けたいと思う気持ちは間違いなく
ある。
そんな中、ちょっとしたことで、ちょっとだけ頑張ることで役立てるならと思い、実践できることが、自分自身
の存在意義となり、救われる気持ちへとつながり、自分も支えられている、支えてもらっているという実感に繋
がっている。
(しかし、許せなかったのは、自殺に追い込んだ森友問題における、総理や財務局長の問題を明らかにせず、
一方的に、政治家たちの力で終わらせた実体のない国という隠れ蓑の有り方だった)
それでも、この国は東側諸国に比べるとこのような特別な事案を除いては人権を守ろうとする機能はそれなりに
残されていると思うのです。
通常の国や人の形態はこの曖昧というか余裕を持っていて、大きな反政府デモを起こすまでの人権への不満を生
むこともないので、デモを恐怖の力を持って制圧することもないものです。
国家に反体する意見であっても、発言の自由、報道の自由が、人を守る範囲内で許されるのが民主主義。
国のトップに近い一部の人だけを守る為に、発言や報道の自由が、踏みつぶされるのが専制主義。
専制主義の中にも民主主義があるなどと言い、理解できない無理を並べて、民をだまし、民は騙されるか、騙さ
れたふりをしないと、消されるか、ぶち込まれる。
何よりも、真実の世界を恐れているのは、ごくわずかの人たちであり、プーチン氏であり、習氏で在り、ジョン
ウン氏であり、・・・氏であり、ということだと思う。
話は随分と迷走してしまいましたが、統率は大切だけれども、より大切なのはバランスだと思います。
国民に理解されない統率は、脅迫やまやかしといった類のものと思います。
何が正しいということについては、先ず個人の命が守られて、そのうえで人権などという堅い言葉よりも、思い
やりが形式上の優劣をつけようとする社会形態に勝る世の中が形成されることを心から望みたいと思います。