篠了平(しの りょうへい)公式ブログ!

ぼちぼちと歩き続ける日々

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2020.12.06 Sunday

旅立ち

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    JUGEMテーマ:日記・一般

    前日の夕刻の空は低かった

    いつかはやってくるとはわかっていても

    こんな早くにとは思っていなかった

    いや、あるかもしれないと思いながらも

    そんな時なんか来ないでくれと祈り、意識から遠のけようとしていた

    たくさんの幸せと想い出を届けてくれてありがとう

    旅立ちの日の空

    真っ青に澄んだ空気で満ちた

    無垢な思いであふれんばかりに寄り添ってくれた体を撫で

    溢れるしずくのまま頬ずりをして見送った

    虹の橋のたもとでまた逢えるから

    それまでの間、心の中でずっと一緒にいるから

    ぬくもりを忘れないから

     

     

     

     

     


    2020.01.24 Friday

    考えぬく・・・

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      JUGEMテーマ:日記・一般

      今まで、これほどまでに本を読みあさったことはない。

      生きるとは何か、その意味を探していた。

       

      平均寿命は、男81歳、女87歳。

      70歳まで生きた人の平均寿命は、男86歳、女90歳。

      晩年、病気やケガで不自由を強いられる期間は、男9年、女12年(このデータは少し違うようにも思うが)。

      こと認知症に関しては85歳以上の4割、90歳以上の6割がなってしまう。

      歳を取れば、その上、更に病気や不自由も増える。

       

      明確に余生の能力が減じてゆく中、生き抜くための意味を求めて、多くの本を手に取った。

      だが、書かれていることは、健康や命がいつまでも続くことが当たり前として語られているものがほとんどで、

      探そうとしている答えには近づけず、かえって肩を落とすことになったりもした。

      しかし、一生懸命に答えを導きだそうとする書籍にも出あえたことは有り難かった。

      たどる道はそれぞれに違いはするが、考える機会とヒントをを与えてもらえた。

      希望を探そうとしているだけなのに、普通の光景を羨ましいと思う自分がいたり、

      楽しそうにしている人を見ると、つらいと思う感情に自分が横たえていたり。

      そんな時には、自分で自分のことをなんとみっともない奴だとも思う。

       

      また、今日という一日を大切にしなければと思いながらもしんどさに負けてしまう自分もいる。

      それでも、何とか今日を成立させることができたと思う。

      それはありがとうを届けたいという気持ちが力源として働いてくれたからだと感じている。

      自分が何かを届けたくて尽くそうとしたその先に返していただいた笑顔にはどれだけ救われたことだろう。

       

      いい答えになるかどうかはわからないが、人生には必ず終点がある。

      だからこそ、そこからさかのぼると最良の道は何かを見いだせると思うようになった。

       

      正直なところ、今は頑張る自分と情けない自分が混在している。

      負けない姿勢は持ち続けるつもりではいるが、どうなってゆくのかは自分でも想像がつかない。

      どのような状況下にあっても、

      家族への感謝の気持ちだけは精一杯届け続けたい。

      仲間にも、ずっとありがとうを届けたい。

       

      日々、その時を大切に。

       

       

       

       


      2018.02.10 Saturday

      残像消去の方法

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        JUGEMテーマ:日記・一般

          

         

            悪夢の残像はいったいいつまで居座り続けるのか?

            それをバクに届けることが出来るのは、それぞれの想い合うココロだ。

            悪夢を消し去ることが出来るのは、何事にも曲がることない心の力だ。

            自分以上に大切にしたいと感じる、ゆるぎない想いの存在だ。

            いとおしさだ。

            それゆえに、壊してはならないものがある、触れてはならないものがある。   

            

         

         

         

         

         


        2016.02.27 Saturday

        冬に咲く花

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          何一つ憎むことなく歩みたかった人生

          まるで自分のことと変わらぬほどに痛む胸

          目の前には冬に咲く花

          今日を自らの出発点として、もう一度歩もうとする力

          あれほど空虚だった心に感じた力

          何一つ干渉などしないように、僕の近くの僕以外の幸せが僕の幸せになるのだろうと思える








           

          2016.02.21 Sunday

          おはよう

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            人生は長くはない

            長生きしたとしてもそう長くはない

            そして次もない

            どれだけ多くの思いあう気持ちを置くことができたか

            人として生きた証を刻めたか

            僕にできるほんの少しのすべてを刻もう

            新しい朝やけの輝きを目の前に、生あることに「ありがとう」ってつぶやく

            だから今日に精一杯を尽くしたいって思う












             

            2014.12.27 Saturday

            「逃すなチャンスを」という言葉が、僕にとっては心の影な訳

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              その昔に「逃すなチャンスを」という曲があったことを思い出した。

              今聞くと、歌詞は素晴らしい内容なのに

              「逃すなチャンスを」というタイトルだけが、なぜ、むなしく響いてくるのかを考えてみた。

              ある時、千葉県での、リンゼイさん強姦殺人事件のことが、心を吹き抜けていったのだ。

              自我や支配欲のままに、純真や弱い者を傷めつけ、這い上がろうとする思いまでも葬り去った事件だ。

              人の心を踏みにじりながらでも、一人、「これで、どうだ」という気になったのだろうか、

              自らの行動に気ずくすべなどなく、人を傷つけるだけ傷つけて、

              事件の報道からは、ただむなしい、ただ空虚な、深い悲しみに襲われるばかりだった。



              子ウサギのすきを狙い、餌をまいては、襲いかかるチャンスを待ち、

              脅しを利かせ、すべてを奪い去る時を狙っているようにしか見えないのだ。

              悲しい事件が報道されるたびに、やりきれない思いにさらされる。



              「逃すなチャンスを」という曲のタイトルが変に加害者側の心理を連想させられ、

              作者には、申し訳ないが、僕はつらい思いにさせられてしまうのだ。

              人に物事を伝えるということの難しさを、注意深く言葉にすることの大切さを教えられている。



              多くに深く想いをはせるが、しかしながら、世の中には、心から愛する者を想い、

              その大切な人の想いを、ただただ守らんとするがため、

              自らを投げうつ者だっていることを忘れてはならない。

              そんな精いっぱいに生きる人たちの生きざまを手本に、

              僕もまた、人として生まれ来た意味を考えさせられている。















               

              2012.08.27 Monday

              ビンテージへの変遷

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                土曜の夕方から、20時間あまりレコーディングに取り組んできたが

                気に入ってる音色のギターを使えばフレット音痴が修正不能で

                ツジツマの合わない心地悪い音になってしまっている

                決して弾きやすいギターではないだけに、精神は疲労し

                演奏はとても納得のゆくものではなくなっていた

                追い討ちをかけるように

                レコーダーが繰り返す操作に耐えれずに、ついに動作不良に陥った

                ストップボタンの摩滅が原因だ

                もうこれ以上続けても、作品としての成立はないと判断し

                ここで一度、今までのテイクは捨てることにした

                レコーダーは修理に出すこととし

                修理が終わり機材が帰ってくるまで音楽は離れるこにした

                今の時代に合わない機材を使っているから仕方のないことだ

                そこで、ポタリングに出かけることにした

                途中、旧26の道沿いには

                修理が日常茶飯事なほどに欠かせないであろう

                ビンテージバイクが置かれていた

                大事に乗り続けられてきたのだろうか

                いつかこうやって、異国の地にたどり着くなんて思いもしなかっただ

                ろう

                大切にしてくれる人に出会えればいいね

                最近の僕はどうしたら心が落ち着気を取り戻せるのか、分からなくな

                ってしまっていた

                だから目の前のことに力を注いでは

                耐え難いことが心に侵入してこないようにしてるのだろうって思う

                もう、心がもたないって思ったときも

                家族にはどれだけ助けてもらったことか 

                これから返していかなきゃならないことばかりなのに

                ましてや迷惑なんて絶対にかけられない

                いつもそんな思いで毎日が過ぎてゆく 

                どうしていいかわからなくなった時も、家族のために心を残し、刻ん

                でゆくことだ

                形でもない、ましてや金銭でもない

                有形なものを口にしたり、形にして手に入れようとした時には

                それは、人としての道をなくしてしまったということなのだ

                家族を守るということは、家族の心を守るということなのだ






                2011.08.11 Thursday

                summer whiteout

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                  ようやく見つけた、街のパラソルの下で見上げた空

                  あまりの暑さとまぶしさで、視界は真っ白にとんでいた

                  今日はもうこれくらいでよしとしよう  

                  「いいだろう・・・」って、小さくつぶやいた

                  心は、暑さで枯れ上がり、なにもそれ以上のオモイはなかった








                  2011.03.22 Tuesday

                  震災と津波の災害、そして被災された方達が教えてくれたこと

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                     3月11日の 地震以来、僕自身の日記も堂々巡りを続ける暗いものになってしまいました。
                     世間一般には、自らを守らんとしてか、悪いことの否定よりも、良いところを伸ばすべしという事にも確かに一理あるわけですが、地位的順列の優位に甘んじて、我を通す、我による理由を並べたてる者などを守るなどはもっての他と判断して間違いのないことと信じて疑いません。
                     自分自身の勝手なわがままなのに、客観的評価のごとくに理由を並べたてては正当化した気になっている態度に対し、職を共にすることを苦とする者の「迷惑だ」という話があとをたちません。
                     被災地の方々が、自らのことよりも他がためにと、チカラを尽くし、今を乗りきり、力を合わせ、やがて訪れる幸せな日々を信じ、それを頼りに精一杯頑張る姿を垣間見るたびに、隣接する職場で起こっている事態を目にすると、こんなことで良いはずがない、世間から許されるはずもないと感じざるを得ないわけです。

                     どんなに良いことができたように思っても、偽善者ナところはないかって、自らに問いただしながら、自らを戒めながら歩いているわけだけれど、
                    こんな勝手を許していたら、見て見ぬフリをするだけで、自分達にもオトガメがあるかもしれない、関係のない人にまで迷惑をかける事になりかねないと危惧するわけです。

                     被災現地の方々の、人として思い合うまっすぐな視線が伝わるたびに、自分は人を正すなどの器なんかは持ち合わせてはいないので、せめて自らの職場では、壁などを作らない、一人一人が思い合える関係をみんなで築きあけていける住家にしたいと願うばかりなのです。


                              ・・・長い闇を抜け、明日からは、やっと前を向き進んでいけそうに思えてきました。

                     心の中で、目に映る光景に、不平ばかりためていた自分に、こんなことじゃイケナイだろって、ようやく思えてきたのかな?・・・


                     どうせやるなら、気持ちよくやる。

                     そういう仲間をひとりでも増やす。















                    2011.03.12 Saturday

                    何ができる?

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                      三陸沖での地震と津波で、被災地は、

                      多くの人、生き物 、住まいをはじめとするいろんな生活環境、心、等々、

                      「ここが同じ日本なのですか?」というくらい

                      壊滅的に壊されてしまった。

                      阪神大震災のときとは違って、遠隔の地であり

                      現場に直接出向いての支援はできないけれど

                      何ができるかは、それぞれに違っても、行動しなきゃね!!

                      幸い僕らの街は、何もなかったのだから。







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