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2020.02.08 Saturday

止まった時計

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    JUGEMテーマ:日記・一般

    朝から要領を得ない僕は、一通りの仕事ささっとして、依頼されていた文書の準備を始めた。

    そして、お昼頃から、一通の書類の作成にとりかかった。

    規定に当てはまらないことがいろいろとあって、僕は頭を抱え、やがてちょっと心まで変になり始めた。

    何度も文章を書き直して結構時間は立っていたのにも気づかずに壁にかかった時計の秒針はいつも9時のあたりで

    ピクピクと動いていて、ふと我に返ったときによく見るといつも12時45分であることにようやく気付いたのだ。

    そういえば、疲れてしんどいし、何か口にしたいという気持ちもある。

    机上に置いた腕時計に目をやると、もう3時を過ぎているではないか!!

    期待に応えられる書類の内容にはならなかったかもしれないが、

    書類を書く前の作業を含めると4時間を費やしたことになる。

    事実を記入し、許容範囲内で依頼主の思いに近づく努力はし尽くしたと思う。

    これくらいで勘弁してくださいという気持ちになっていた。

    そんなわけで今日の午後の研修会には参加できなかった。

    でも、少しは役に立てたかもしれないと思うようにした。

    夕方、寒風の中を散歩していると、20年ほど前に閉店したスーパーの、止まったままの時計があった。

    こちらの時刻は偶然にも正しい時刻をさしていた。

    偶然もあれば、必然や、やむ無しもある。

    「オツカレサマ」、僕は不器用で要領の思いっきり悪い僕に向かってそうつぶやいた。

    あとはゆっくりしよう。

     

     

     

     

     


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    2019.11.04 Monday

    「休む」と「休まる」いう言葉の意味について

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      JUGEMテーマ:日記・一般

      頑張り続けてきた者に対してかける言葉として

      「何とか続けてくれないか」という言葉は残酷に聞こえる。

      やわらかい響きで頼りにしているよという風に聞こえなくはないが、

      経営者向きの講義で学んだ言葉なのだろうか。

      本当に思いやる心のある者なら「だいじょうぶか?」の一言を何よりも真っ先に届けるだろう。

      たとえ、そういった言葉さえ、人それぞれだからととらえて流すことができても、

      もう、無理などできないところを押して耐えるにも限界がある。

      迷惑をかけるほどになった自分を見るのも堪えがたい。

      笑顔で接することができないのは自分じゃない。

      今、「休みは何もしないためにある」、近頃の僕の休みの概念は間違いなくこうだ。

      何か楽しいことをするために存在するものでもない。

      ただ何もせずに、何も起こらないように、ココロとカラダが少しでも平静である様にと、ただそれだけに努めている。

      少しでもいい道をと、

      休まる道はないかと、道探しをしているのだ。

      「やすむ」と「やすまる」

      両者の共存する世界に近づきたいのだ。

      今はそれだけだ。

       

       

       


      2014.10.18 Saturday

      お兄ちゃんお山にゆく

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        今日、お兄ちゃんはお山にゆく

        曇りなどどこにもなく、ひたすらにいい人だった

        59歳の人生だった

        言葉に言い表せないくらいにお世話になった

        お返ししなければならない想いで胸がいっぱいになっている

        言葉で言い表す必要のないぬくもりが軟らかにあふれる人だった

        人生のあるべき姿を教えてもらった

        ありがとう













         

        2013.12.04 Wednesday

        一週間後半の事件簿

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          何が起こるか、予想なんかつかない。
          木曜日、食物アレルギーにて沈没、激しい腹痛で身動き不能になる。
          金曜日、忙しい一日だったが、これといった事件は何もなく経過。
          土曜日、横浜で日本一になったギタリスト「AKI MIYOSHI」と、アメリカはウインフィールドで世界一になったギタリスト「AKIHIRO TANAKA」の演奏を聞かせてもらい、3人で記念撮影をした。 何か御利益があるといいのだが・・・
          日曜日、久しぶりのポタリング(サイクリング)、鳳のアリオ、浜寺公園とめぐり、最後は岸和田城横の鎮守様によって、みんなの健康と平凡な毎日をお祈りして帰路についた。
          帰路の途上、泉佐野にて事件は発生した。対向車線からセンターラインを横切ってこちらに向かって乗用車が突進してきたのだ。
          乗用車に僕は飛ばされ、気がつけば僕は路肩の外側でゴロっとなっっていた。乗用車はこちら側の民家の縁石にぶつかり、バンパーは破損し、タイヤはバーストして右側のドアは歪み浮き上がった状態で止まっていた。こちらに向かって突進してきたとき、車を避けようとして逃げようとしているのに、なお逃げる方向にむかって加速しながら突進してきたので、何かの犯罪に巻き込まれこのまま殺されるのではという恐怖でいっぱいになった。相手は23歳の女性で、車内で携帯電話が落ちて探していたと話していた。
          今思い出しても残っているのはぶつかるまでの恐怖心ばかりで、右膝の骨折と左肋骨の骨挫傷と左の下腿の筋損傷と左の手関節の捻挫程度でよく助かったものだと逆に感謝している。相手の女性にも「お互いこの程度で済んでよかったんだよ、きっと神様が守ってくれたんだよ、これからは二度とこんなことのないように気をつけてね」とだけ伝えた。
          ひょっとして、今日、お参りした鎮守様が守ってくれた? そんな思いにさせられた。
          あちこちと痛いけれども、間違いなく、僕は加害者を恨んでなんかはいない。 むしろ、後に電話がかかってきた時にも、「大したケガじゃないし、僕のことは気にしなくていいから、事故だけは起こさないように気をつけてね」と話せる自分がいた。
          これはきっと、僕の過去の経験から、この程度のことは辛いと思ったり、相手に対してひどい怒りを覚えるにいたらないのだろうと思えるのだ。 きっと、過去のいろんな経験があるから、普通に毎日を歩む人が決して悲しみで途方にくれるなんてことになって欲しくないと心から願うようになったのだと思う。
          そう、本当は僕も動転していたけれども、路肩でゴロンとしていた僕に、心から出てきた「ごめんなさい、ごめんなさい」という声が聞こえたし、それにこの子は起こそうとして起きたことじゃないって素直に思えたから、むしろこの子を守ってあげたいという気持ちが間違いなく確かに僕の心の中にいた。
          今回のことを教訓に、この子が今後辛いと思うことなどなく、思いやりを持って、誰の身も心も傷つけることなく当たり前の人生を幸せに歩めることを望んでやまないのです。

          いろんなことがあったけれど、幸い僕の体は2ヶ月もすれば、元の状態に復帰は出来そうだし、神様に感謝しなければいけないって思う、そんな、いろんなことがあって、いろんな思いが駆け巡った一週間だった。

          こんな目にあっても、相手の気持ちのことが心配できたのに、日常生活では、相当つまらないことで腹立たしく思うことが多々ある。 

          すなわち、人を想う親身な心の叫びに対しては、たとえ傷つけられても、それが故意であったり、勝手な我ままでなければ、自らの身をていしてまでも人は痛みを分かち合いたいと自然に思えるが、心無いことや偽善や我がままといったものに対してはただ腹立たしく思うだけでひたすらに遠ざかるしかないのだ。

          世の中で地位的にはえらいとされる人種が、実に滑稽(コッケイ)なほどに思いやりにかけるどころか、あほらしいとあきれる程に低レベルな事象、次元で自らの我ままにこだわり、自らの誤った正当性を主張しては、多くの人を傷つけている光景をよく見かけます。 かといって、僕たちが、何かの動きを起こせたかというと、仲間のためにできたことはせいぜい、心無いものを遠ざけ、関わりを断ち、なんとか仲間が嫌な思いをしないように不具合なことに接触しなくて済むようにできたくらいです。
          身近なところで少しの改革を実行するにも、たくさんの人の大きな労力がいります。
          これが世の中で取りざたされるようなことになると、もう傍観するしかないというのが現状です。

          僕だって、よくブレテシマイソウになるけれども、だから、せめて、一瞬わけのわからない時があっても、そこはもう一度全体を見渡してみては、自分のことを考える前に、自分にできるホンの少しのすべてを伝えられたらって思い、行動しようとしているのです。
          最近になり、ようやくそう思って少しずつ修正しながら、歩けるようになってきたのです。

          写真は、事故に遭う当日、浜寺公園駅舎前での、最後のロク(僕の自転車)の姿です。
          このあと、ロクは傷ついてしまうことになってしまいました。

          ロクは自転車で、たしかに物という物質ではあるけれども、どんなに辛い時も一緒にいてくれた、いつも一緒に走ってくれた、いつも僕を守ってくれた、僕の大切な友達です。

          「ありがと」・・・

           

          2012.05.23 Wednesday

          それぞれの黄昏

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            浜辺には、それぞれの黄昏がやってくる

            夏を待ちきれない若者

            ひとりトランペットと時を共にする者

            それを画角に収めようとする者

            それぞれの幸せは、何の無理もないもの

            ささやかなるもの






            2011.07.30 Saturday

            LOVERS

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              巷の平均からすれば、標準偏差の片隅にかかるかどうかの恋人達

              時間が止まっているかのような空気が流れていた

              波と時のハザマをさまよい、たどり着いたかの様な二人

              今という瞬間・・・

              いいじゃないか






              2010.09.08 Wednesday

              精一杯を踏みにじられた時に・・・  /  「もういいから・・・と思えるまで・・・」 /  「しょうもないこととなり・・・そして風化する」

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                たとえ、あなたが「悪かった」と気付かなくても

                あなたが、何にもなかったふりをしたとしても

                「そんな事、思いもよらなかった」と済まされる事だったとしても

                「しょせん、世間には、精一杯を尽くしても、アダとしか思えない情けない

                結果を突きつけられるような事もあるよ・・・そう思えば、もういいじゃな

                いかって、僕は自分に思えないか?」・・僕は自分にそう語りかけていた。

                僕なら、誰かに嫌な思いや迷惑をかけるかもしれないことなどと、考えただ

                けで、自分が嫌になるから、自分の中だけで昇華してしまおうと思うだろう

                もし、自分のことを思って力になろうとしてくれているって少しでも感じ

                ていたなら、絶対迷惑なんかかけられないし、少しでも相手が嫌な思いにな

                るかもしれないっていう気持ちになっただけで、きっと、自己嫌悪に陥って

                しまうだろう。



                喜ばれることだけを精一杯尽くして、今日を終えたい 

                それだけでいい

                もういい

                今は腹立たしくても

                それでも「救えている」と思えるからそれでいい

                いつか、嫌な思いも薄れるから

                その程度の事だから

                それでいい



                この写真はボケボケのピンボケ

                でも、画面いっぱいに、すべての方向にやわらかな光が満ちている

                この爺さんは、結構、年老いて足元も定かではなかった

                しかし、助け、助けられ、きっと幸せな人生を学び、歩んできたのだろう

                ひたすらに、喜んでもらえることが嬉しいのだろう

                ボケたのでは?・・・  といわれる歳になっても

                僕も、こんな爺さんでいたい

                その方がいくらも幸せだ

                そう思う

                ただ、そう思う

                悔しくて、悲しくても

                裏切られても

                自分は人として、尽くせているのだから、それでいい

                それで充分過ぎるほどに幸せだと思う

                すこし、辛みも、胸を下りだしたかもしれない

                もう休みたい

                僕にできるすべてを尽くしたのに

                「ありがとう」って思ってもらえなかった? それどころか・・・

                人として情けなくて、もういいから、悲しくなるから

                もう何も語らないで欲しい

                何の抵抗もなくそう思ってしまった

                しばらく、無気力になってしまった

                5分とたたないうちに、僕の目の前には、僕の力になれる別の問題が持ち込

                まれた

                過ぎゆく事に捕らわれる間もなく、また精一杯をはじめた

                体も辛かったが役に立てるかもしれない

                そう思うだけで、幸せだった



                さっきの事なんか、もういいじゃないか

                そう思うほどに忙しく、誰かの役に立てた今日に感謝しようよ!!



                明日も、もっと素敵でいいヤツになれるよう、努力を続けよう!!

                僕は自分にそう言い聞かせた



                あなたは本当にそれでいいんですか

                本当にそれで幸せと思えるんですね

                人の人たるや、本当にそれでいいんですね



                僕はもう少しだけ待っています



                もし、あやまる姿が見られなかったとしても

                こんなに腹を立てたことも

                時がたてば、しょうもない事として、

                確実に風化する程度の事象なんだろう






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