何が起こるか、予想なんかつかない。
木曜日、食物アレルギーにて沈没、激しい腹痛で身動き不能になる。
金曜日、忙しい一日だったが、これといった事件は何もなく経過。
土曜日、横浜で日本一になったギタリスト「AKI MIYOSHI」と、アメリカはウインフィールドで世界一になったギタリスト「AKIHIRO TANAKA」の演奏を聞かせてもらい、3人で記念撮影をした。 何か御利益があるといいのだが・・・
日曜日、久しぶりのポタリング(サイクリング)、鳳のアリオ、浜寺公園とめぐり、最後は岸和田城横の鎮守様によって、みんなの健康と平凡な毎日をお祈りして帰路についた。
帰路の途上、泉佐野にて事件は発生した。対向車線からセンターラインを横切ってこちらに向かって乗用車が突進してきたのだ。
乗用車に僕は飛ばされ、気がつけば僕は路肩の外側でゴロっとなっっていた。乗用車はこちら側の民家の縁石にぶつかり、バンパーは破損し、タイヤはバーストして右側のドアは歪み浮き上がった状態で止まっていた。こちらに向かって突進してきたとき、車を避けようとして逃げようとしているのに、なお逃げる方向にむかって加速しながら突進してきたので、何かの犯罪に巻き込まれこのまま殺されるのではという恐怖でいっぱいになった。相手は23歳の女性で、車内で携帯電話が落ちて探していたと話していた。
今思い出しても残っているのはぶつかるまでの恐怖心ばかりで、右膝の骨折と左肋骨の骨挫傷と左の下腿の筋損傷と左の手関節の捻挫程度でよく助かったものだと逆に感謝している。相手の女性にも「お互いこの程度で済んでよかったんだよ、きっと神様が守ってくれたんだよ、これからは二度とこんなことのないように気をつけてね」とだけ伝えた。
ひょっとして、今日、お参りした鎮守様が守ってくれた? そんな思いにさせられた。
あちこちと痛いけれども、間違いなく、僕は加害者を恨んでなんかはいない。 むしろ、後に電話がかかってきた時にも、「大したケガじゃないし、僕のことは気にしなくていいから、事故だけは起こさないように気をつけてね」と話せる自分がいた。
これはきっと、僕の過去の経験から、この程度のことは辛いと思ったり、相手に対してひどい怒りを覚えるにいたらないのだろうと思えるのだ。 きっと、過去のいろんな経験があるから、普通に毎日を歩む人が決して悲しみで途方にくれるなんてことになって欲しくないと心から願うようになったのだと思う。
そう、本当は僕も動転していたけれども、路肩でゴロンとしていた僕に、心から出てきた「ごめんなさい、ごめんなさい」という声が聞こえたし、それにこの子は起こそうとして起きたことじゃないって素直に思えたから、むしろこの子を守ってあげたいという気持ちが間違いなく確かに僕の心の中にいた。
今回のことを教訓に、この子が今後辛いと思うことなどなく、思いやりを持って、誰の身も心も傷つけることなく当たり前の人生を幸せに歩めることを望んでやまないのです。
いろんなことがあったけれど、幸い僕の体は2ヶ月もすれば、元の状態に復帰は出来そうだし、神様に感謝しなければいけないって思う、そんな、いろんなことがあって、いろんな思いが駆け巡った一週間だった。
こんな目にあっても、相手の気持ちのことが心配できたのに、日常生活では、相当つまらないことで腹立たしく思うことが多々ある。
すなわち、人を想う親身な心の叫びに対しては、たとえ傷つけられても、それが故意であったり、勝手な我ままでなければ、自らの身をていしてまでも人は痛みを分かち合いたいと自然に思えるが、心無いことや偽善や我がままといったものに対してはただ腹立たしく思うだけでひたすらに遠ざかるしかないのだ。
世の中で地位的にはえらいとされる人種が、実に滑稽(コッケイ)なほどに思いやりにかけるどころか、あほらしいとあきれる程に低レベルな事象、次元で自らの我ままにこだわり、自らの誤った正当性を主張しては、多くの人を傷つけている光景をよく見かけます。 かといって、僕たちが、何かの動きを起こせたかというと、仲間のためにできたことはせいぜい、心無いものを遠ざけ、関わりを断ち、なんとか仲間が嫌な思いをしないように不具合なことに接触しなくて済むようにできたくらいです。
身近なところで少しの改革を実行するにも、たくさんの人の大きな労力がいります。
これが世の中で取りざたされるようなことになると、もう傍観するしかないというのが現状です。
僕だって、よくブレテシマイソウになるけれども、だから、せめて、一瞬わけのわからない時があっても、そこはもう一度全体を見渡してみては、自分のことを考える前に、自分にできるホンの少しのすべてを伝えられたらって思い、行動しようとしているのです。
最近になり、ようやくそう思って少しずつ修正しながら、歩けるようになってきたのです。
写真は、事故に遭う当日、浜寺公園駅舎前での、最後のロク(僕の自転車)の姿です。
このあと、ロクは傷ついてしまうことになってしまいました。
ロクは自転車で、たしかに物という物質ではあるけれども、どんなに辛い時も一緒にいてくれた、いつも一緒に走ってくれた、いつも僕を守ってくれた、僕の大切な友達です。
「ありがと」・・・