午後の反射光
〜 午後の反射光 〜
ほんの少しの間だけ
どこからやってきたのかわからない、虹いろの反射光
時計の淵に映りこんでいるのを見て、慌てて撮ったもの
何と綺麗な光のいたずらか
また逢えたらいいな
いつの日か、また
あの日の午後の反射光に
ぼちぼちと歩き続ける日々
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〜 午後の反射光 〜
ほんの少しの間だけ
どこからやってきたのかわからない、虹いろの反射光
時計の淵に映りこんでいるのを見て、慌てて撮ったもの
何と綺麗な光のいたずらか
また逢えたらいいな
いつの日か、また
あの日の午後の反射光に
〜 月夜のリスペクト 〜 ( リスペクトが生んだオマージュ? 10/21はあかりの日 )
闇夜を照らすお月さまへのリスペクトが、オマージュとしての白熱球を生みだしたのでしょうか?
エジソンが実用化した京都石清水八幡宮の竹を用いた白熱球のフィラメントは1200時間もの間光り続けました。
1879年、10月21日のことでした。 誰かの心に明かりを灯すのは、それはあなたのひと言かもしれません。
〜 大根の月 〜
透けるような紙のように薄い輪切りにしようとして切り損なったのが「大根の月」
向田邦子作「大根の月」という作品からきているということを教えていただきました。
作品は昭和を思い浮かべる雰囲気で、明るいものではないけれども、最後は良い方向に向かうのではという
期待感を残したものではありますが、現実はなかなか厳しいものがあるであろうし、心の傷は子供の指を見
るたびに思い起こすことになるという思いが残りました。
それでも時は流れてゆきます。
この先の時の流れの中で、心休まる方へと向かうことを願う他ありません。
今日は「大根の月」という知ることのなかった言葉の由来を知ることができました。
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〜 雨のち光 〜
緑葉に上手に乗っかった雫たち
いつの間に雨が降ったのだろう
モッコウバラのツルに伝ったいくつもの雨粒がそれぞれの宇宙を作り上げている
雨はすでに上がり、あたりには光が満ち始めている
今日は日曜日、今日も暑くなるんだろうな
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光があって
実在するものがあると
そこに出来るものは影だ。
影は実在するものがないとできることはない。
光が当たるものには必ず影がある。
自ら光輝くように見えるものも、エネルギーをいただいて初めて輝くことができている。
自然な形だと太陽だけは唯一光を放つが、それ以外の動力源、光源等へのエネルギーへの変換には、太陽光にし
ろ、風力、水力、化石燃料、原子力、のいずれもが人為的に変換しないと、何の力源とすることもできない。
人にも生きるためのエネルギーが必要で、そこにあるのは食物連鎖であったり、その根源には生命を繋いでゆく
ための自然界の厳しい摂理と呼ばれるものが繰り返されている。
人における輝きはクローズアップされる個人に集中されることが多いが、目立たぬ場を支える人のそのまた支え
る人の、そのまた下請けを引き受ける人の、そんな場が大多数であり、そんな場での輝きの方が多く発信される
様になれば、多くのココロは落ち着き、なだらかな方向に向いてゆくように思うのだが。
影とはなんだ。
マザーテレサは、「愛の反対語は憎しみではなく無関心だ」と述べたが・・・
確かに愛のない世界を創造すると無関心で空虚な世界が思い浮かぶ。
「光の反対語」は通常は「影」として表現されるが、マザーテレサが生きておられたらなんといっただろう。
影ではなく「無」として表現されただろうか。
影は、愛や、犠牲や、思いやりや、悲しみや、それはそれは思いも及ばないたくさんの結晶から成り立っている。
僕にはそう思えるのだが違うのかもしれない。
光の持つ力の大きさで影の差す方向は余儀なく変更させられる。
そして実像が消えると影も消える。
物理的にはそうだが、人における影の存在は思った以上に大きな影響をおよぼす。
ウクライナの人へのロシア側からの殺戮には、自らの命を繋ぐにも困窮しているシリア兵が雇われていると聞く。
このような世界情勢の中、心からも物質的にも求めてゆかなければならないものを、人は問われていると思うの
です。
人生の光とは、はたして「栄光」と呼ばれるものでいいのだろうか。
ひねくれ者かもしれないが、栄光の意味を知ろうとしたことがない。
すごくエネルギーのいる事なんだろうなということと、称賛されることなんだろうなイメージを持っている。
我々、一般人からは遠いことのように思っている。
うまく言えませんが、これは否定的な思いではありません。
現にアフガニスタンで亡くなられた中村先生などは、いわゆる雲の上のスゴイ、この上なく素晴らしい人としか
表現のしようがありません。
「栄光」「賞賛」という言葉とはかけ離れたところにあって、成そうとすることのほんの一部のカケラにも達成
感を求める姿などない崇高な感覚として涙がこぼれそうになるのです。
これといったこと何一つせず、今となり、今日を刻むのにいっぱいになり、せいぜいちょっとしたできること探
しくらいしかしていない僕には、何事もない今日の無事こそがかけがえのないもの、すなわち穏やかなぬくもり
という光に思うことくらいしかできません。
この程度が僕の精一杯のせいぜいです。
お年寄りが、「しんどくて(おそらく身も心も)、早くお迎えに来て欲しい」とおっしゃるのは、
「本当にしんどくて、つらくて、何かを望むことすら思い浮かベる気力がないどころではなく、望むということ
が浮かぶ力も存在しない」ということが私なりの理解です。
望むことの気持ちすら存在しない世界が、ただ重くのしかかっているゆえの思いだろうと思っています。
その上に、つらいことが幾重にも乗りかかっては、それはもう大変では済まされない思いだと思います。
かける言葉すら見つけられない時には、ただ手を握ることしかできない。
それでも、その手から伝わるぬくもりには、人をつなぎとめるものがあると感じました。
もう一つ思うことがあります。
自分自身がしんどい状態だと、人のつらさどころか話すら受け止められなくなってしまうことがあります。
いや、受け止める以前に、言葉であろうが、振動であろうが、感受性を失ったように何も感じず、届かなくなると
言った方が的確だと思います。
そんな時、あまりの自分の状態が故に周囲や目の前の何事にも気づかず、何もかも忘れてしまっていたかのようで、
しばらくして気が付けばダメじゃないかと思う気力のある時も、そう思う気力すらない時も、後になり仕方がない
のかなと、慰めもするのですが、嫌気が差してしまいます。
出来る限り早く気づくようには努めています。
疲れが過ぎるとろくなことはありません。
あまりにしんどくなると、思考は停止し、お年寄りって、こんな風に?大変なんだろうなってことが感覚的にわか
るような気持ちになることがあります。
あくまでも、わかるようなであり、違うところはあちこちにあるでしょうが・・・
さて、こんな僕にでもできることは? と
そう思える隙間があることは、ありがたいことに違いないと思っています。
そう強がっては、いろんな帳尻を合わせようとしているのは自分を見つめれば見え見えだ。
それでも何もしないよりはいいに違いない。
そう、願いながらなんとか今日に向かおうとしています。
なんとかしなければと思いながら、ホント少しだけしかできないんですが、役に立てたらと・・・
現実の壁に阻まれた方から教えられ、ひょっとすると背を押していただいているのかもしれないと・・・
( 文字や文章が意図せぬ組み合わせになったり、消えたりで、記した当日は意味不明の
文面になった個所があったことをお詫びします )
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「おはよう」
朝のひかりのまぶしさって
夕方のまぶしさと違って元気があるな
こんな、なぜかを問わない、正面からの感覚を受けとめている自分がいた
その昔に感じた朝の感覚、なんてことない普通に気が付けば朝の中にいる、そう感じるひと時があった
いつからぶりのことなのか、忘れてしまう程に時は過ぎた、少なくとも3年?は過ぎただろうな
確かに、今日、朝はひかりと共に、そこには、無意識な時間が流れていた
普通の時間の中には何かアッタカでフワフワなものが住んでいて、「こんなことしてみたらどう?」
と、声をかけてくれる優しい怪獣がいることに気づかされた
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クラシックなカラーが似合う花車
また、強い寒波がやってくるそうだ
あたりが雪景色となっても似合うのではと思うのはあまりに不謹慎だろうな
花たちにとってもいい季節というもがあるだろうに
こんな季節にこころを和ませてくれようとする姿に申し訳なささえ感じる
いや、素直にただ「綺麗だよ」と目を向けるべきものだろうな
そして、一度目を閉じてみて、もう一度目を開け、ただ「綺麗だよ」とひと言だけ言って・・・
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夜空では、お月さまとお星さまがすごく近づいて素敵に見えた
でも、写真にしてしまうと思ったよりも随分と離れていた
もう一度、夜空を見上げると、確かにすごく近くに見えるんだ
写真にしてしまうと物理的には遠い存在に映し出されたが、夜空を見上げて感じる距離は確かに寄り添う程に近い
このやわらかな感情は、神様が人に授けてくれた「思う」というこころの力だと思えてならないのです
さあ、今日はどんな「思う」と出会えるだろうか
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もう3年以上の時が流れた
ホント、久しぶりにやってきた
僕は今、僕が勝手に「いのちの木」と呼んでいる木の下にいる
逢う度に、休んでいきなよと、声をかけてくれる
なんだか、ワクワクとするんだ
ここにやってくると不思議な落ち着く力ももらえるのだ
見上げると、大きな幹から延びた立派な枝はいくつにも別れ、数えきれないきらめく命が空に向かっている
みどりの風と木漏れ日にココロが洗われてゆくのがわかる
元気を届けてくれる
心が息を吹き返し再生されてゆく
あつかましいかもしれないが、僕は安心したかのように、心をゆだね、あらためて大きな景色を見上げた
やわらぎの未来に導かれますように
そしてそのやすらぎを必要とする方に届けられますように
そうココロの中で呟いて
そして、また、やってくるからねって・・・
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公園の外周道路を歩いていると子供たちのはしゃぎ声が届いてきた
この季節に差す斜陽は優しい
常緑樹からは明るいコントラストがその足を延ばし
落葉樹の足元では色彩深い枯葉を踏みしめ、光の五線譜の上を歩いた