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篠了平(しの りょうへい)公式ブログ!

ぼちぼちと歩き続ける日々

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2020.07.26 Sunday

雨上がりの海で

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    JUGEMテーマ:日記・一般

    雨上がり、夕暮れ前の波打ち際を歩く

    あたりは少し幻想的な色に変わりはじめた

    目を閉じると、静かに打ち寄せる波の音だけが今居る場所を教えてくれる

    他に聞こえる物音のない波打ち際を歩く

    自らの存在の必要性を問う思いがよぎらない場所はないか

    少しだけでも役立つことのできる自分の存在があるのなら、それは明日に向かおうとする一つの答えになりうる

     

    また

    望むことがあれば、望まないこともある

    望まれることもあれば、望まれないこともある

    言えることは、誰かが望まないことには決して誰も触れてはならないということだ

     

    そして自らに思う

    自らは求めることもなく

    自らを受け止める他はないということだ

    再び視線を前に向け、明日に向かう

     

     

     

     


    22:36 | こころ | comments(0) | - | - | - |
    2020.07.11 Saturday

    参道にて

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      JUGEMテーマ:日記・一般

      参道をゆく

      たしかに、この言葉に出会って、「あっ、その通りだな」と思わさせられた

      正直なところを言うと、恥ずかしいことだけれども、そうだなと自らを顧みなければならないことが多々ある

      歩むべき道として、しっかりと受け止め、胸に刻まなければならない言葉だ

      心身のできる範囲ではあるが、そのように尽くさねばと思う

       

       

       

       


      08:05 | こころ | comments(0) | - | - | - |
      2020.04.11 Saturday

      市場牛神神社跡 (祈る)

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        JUGEMテーマ:日記・一般

        かつてここには神社があった。

        そして、どれだけたくさんの祈りがあったことだろう。

        時が流れ、どれだけの代が変わっていったとしても、春のやわらぎを届けて欲しいと詠んだのだろうか。

        手洗いの水がめだろうか。

        拝殿はおろか、わずかな石材が残るのみで、今ここに神社はない。

        人生には人の力などでは到底コントロールできない局面がある。

        それでも人は思いが届きますようにと祈りをささげる。

        こころがそうする他ない道をたどるからだ。

        しかし巨大な不幸は1ミリたりとも動かない。

        そしてまた祈りをささげる。

        何度もささげる。

        いつまでもやりきれない思いと悲しみは続く。

        祈りが届かないことの先に訪れる終焉がようやく悲劇を終わらせることができる。

        以前、このような思いをしたためた文章に出会ったことがある。

        丘には打ち付けた釘が錆びて飛び出し朽ちたベンチがひとつ置かれたままになっていた。

        今は無き神社からの小径を下る。

        どれほど多くの祈りがこの高台に込められたことだろう。

        あの時叶わなかった願いも、

        祈りの込められた時からは随分と遠い未来になって、魂たちは互いを思い合う幸せを噛みしめていることだろう。

        そんな祈りを思い起こすかのように、今年もまた桜は咲いた。

        やがて心は安らぐよと語り掛けてくれている。

         

         

         

         


        21:20 | こころ | comments(0) | - | - | - |
        2020.02.26 Wednesday

        生きる

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          JUGEMテーマ:日記・一般

          老朽化した昔の寮か集合住宅なのだろうか。

          窓の一つからは洗濯物が干されていた。

          この時、命の根源に近いものを見た気がした。

          生きるとは。

          生きがいとは。

          その意味とは。

          考えるほどに難しい。

          しかし、その周りにある一つの真理として、自分は生かされているということだけは間違いがない。

          だからこそ、至らぬながらも、自負を捨て、達成感などにまどわされずに、仁慈を尽くす道を歩みたいと思う。

          そこでは自己を超えるもの、救われるべき者への愛が回り回って、その中心に生きがいが生まれる。

          そう思うようになった。

          自分なりの絶望感を体験した後でそういった思いがより一層に強くなった。

          それまで、何もかもが当たり前の日々のように、深い意識もなく過ごしてきた。

          何もかも初めから揃えられた人には見えることのない世界であろう。

          弱者という立場に置かれた人にとっての、声にすることのできない思いを感じた。

          心から守られなければならない世界があると感じる。

          より大きな世界観で対峙し、共に微力かもしれないけれど、できることをと・・・

          そう、思わされてならない。

          そう、思いたいのであろうとも思う。

           

           

           

           

           


          22:53 | こころ | comments(0) | - | - | - |
          2020.02.14 Friday

          キレイ

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            JUGEMテーマ:日記・一般

            シンプルニステキダッタナ

            アコガレ?

            ココロウタレ、スミワタルホドニ、キレイダッタナ

            ・・・アノソラ

              

             

             

             


            22:30 | こころ | comments(0) | - | - | - |
            2020.02.10 Monday

            欠け落ちた風景

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              JUGEMテーマ:日記・一般

              錆びたトタン屋根の向こうには、幼いころによく通ったあぜ道があった。

              今、そこには左側の枝が欠けて落ちた木がある。

              いつぞやの台風のせいだろうか。

              人生にも突然の出来事があって、心が欠け落ちてしまうことがある。

              それが定常状態を保てず落ちてゆくしかないと分かると、なおのこと心の持ちようすらわからなくなる。

              まずは受け入れようと努めることだ。

              そして、長い先のことは考えずに、今日できる範囲のベストを尽くすように努める。

              今日を乗り越えることで、つらかろうが、不安に満ちようが、どんな形であろうが明日はやってくる。

              今という瞬間に現実性を持たせることができるか、真の喜びを届けられるか、感じられるか、

              ただ虚しさの中でジタバタしたり空虚になってしまうのとでは大きな違いがある。

              現実との距離を感じることがあるにせよ、

              この形の欠け落ちた木にしても、鳥たちに生活の場を与えながら春に向かっているではないか。

               

               

               

               


              23:23 | こころ | comments(0) | - | - | - |
              2020.02.02 Sunday

              明日は節分

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                JUGEMテーマ:日記・一般

                明日の節分は月曜日で行けないからと、今日、近所の神社に向かった。

                誰一人としてお参りをする人の姿はなかった。

                それでもお参りだけはさせていただいた。

                 

                その時は気づきもしなかったが、そこには、お願いばかりをする自分がいた。

                それは正直な気持ちだった。

                しかし、少しだけでも役立たせていただくことのできる自分があることに感謝をしなければならない。

                 

                          (この神社にやってくると、幼少期にお世話になった松井さん夫妻の想い出がよみがえる)

                 

                 

                 

                 


                19:09 | こころ | comments(0) | - | - | - |
                2019.11.27 Wednesday

                愚痴聞き地蔵様

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                  JUGEMテーマ:日記・一般

                  僕は愚痴聞き地蔵様の前で思いました。

                  愚痴を聞いていただく資格など持ち合わせていないことに今頃気付いたのです。

                  反省する事ばかりが思い浮かびました。

                  愚痴を聞いていただけるように頑張らないといけないと思いました。

                   

                   

                   


                  2019.11.24 Sunday

                  モミジの影絵

                  0

                    JUGEMテーマ:日記・一般

                    たしかに光を受けてモミジはとても鮮やかな赤い色をしていました。

                    そんな中、今日はいつもと違うシーンに出会いました。

                    山間(やまあい)の日陰から見上げたときです。

                    そのシルエットは懐かしい影絵を始めてくれたのです。

                    この季節に出会えて楽しかった昔のお話をイッパイ、イッパイしてくれました。

                    自身の辛いこともありましたし、過ちもたくさんありましたが、

                    たくさんの方のお世話になって、ようやくここまでやってこれたのだと、

                    しみじみと深い感覚に浸る時が流れました。

                    人はそれぞれに何があっても譲れないものを持ち合わせていると思います。

                    それが自分のためでないことだとしたらなおさらです。

                    そんな、たくさんの一助に助けられて、何とかここまでやってこれたのです。

                    広くには少しはできることもあるでしょうし、決してできないこともあります。

                    ですが、まだまだ、お返しをしていかなければなりません。

                    現状に負けることなく、一助となる言葉や空気をそっと置けるようにしてゆきたい思います。

                    今日、シルエットがモノトーンとなった世界からの言葉が届きました。

                     

                     

                     


                    2019.11.19 Tuesday

                    それぞれの命

                    0

                      JUGEMテーマ:日記・一般

                      晩秋の湖畔にはたくさんの命が集まってくる。

                      陸に上がり餌を探すもの。

                      水面をゆくもの、叩くもの。

                       

                      人でいう人口密度は高そうだが、人と違い彼らが集まる理由は自然の摂理と気の赴くままの行動による

                      ものだ。

                      生きるために必要なだけの営みをする。

                      邪念などはなく、神様に授けられた純真という本能に従い食に向かい、充足すれば体を休める。

                      社会制度の助け?などはない代わりに、自分の身は自分で守らなければならない。

                      けれど、侵害されるものはなく、個の権利は守られる。

                       

                      一方、人の世界では束の間の時の停滞すら許してはもらえない。

                      たとえ体調を崩して休もうが、郵便物はどんどんと送りつけられ、ベルはなり、連絡や対応にも迫られ、

                      そして追われる。

                      何とか乗り越えられたとしても、年を取れば、物事の理解も困難になってくるし、今しがたの記憶すら

                      失われるケースもどんどんと増えてくる。

                      介護保険制度はあるけれども、

                      意思の疎通が図られなければ、その人にとってのより良い世界すら見いだせなくなる。

                       

                      認知症の問題だけではありません。

                      その上に身体の自由を失くしてしまえば、個の自由はおろか介護をしてくれている周囲の人たちの自由

                      や健常な精神さえも、より危ぶまれてしまう。

                      認知症の人も、体が不自由な人も、心を病む人も、皆が不幸でない、できれば幸せな老後を送っていた

                      だける未来になってくれることを願ってやみません。

                       

                       

                       

                       

                       


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