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ぼちぼちと歩き続ける日々

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2022.12.02 Friday

里山の午後   師走朔日(しわすついたち)

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            〜 里山の午後 〜    

     

     

    この道は、何度か通ったことのある里山の道。

    この道を通るたびに、この場所からの風景を撮ってみたいという想いがありました。

    今日のような青空と雲に出逢える休日を心待ちにしていました。

    そして、今日、その時を迎えたのです。

    農地は奥に見える集落に向かって広がり、集落の奥には小高い山があって、その向こう側には田園と街を抱え

    る平野が広がり、そこから先は海へと向かうのです。

    この場所に立つと、この山は小さな山ですが、慌ただしく追われる山の向こうの社会とは違う時計をもってい

    て、お日様の高さがなだらかな時を刻む役割を果たしてくれているように映ります。

    集落に向かう道はあるにはあるのですが、車一台が通るにも落っこちそうになるくらいのとても狭い道でした。

    普通に考えるならば、手を加え、不安なく通れる道にすればいいのにと思うでしょうが、この道ひとつをとっ

    ても、この場所にある不可侵な世界を守る大切な役割を担っているように思えてくるのでした。

    そうです、この小さな山の向こうに目をやっても、空と雲以外、何ひとつ視界に入ってくるものはありません。

    農業を営む十件余りの集落が自然の中にポツンとあって、ゆったりとした時が作物を実らせ、生きてゆくのに

    必要な分の実りを届けてくれる。 その様に四季が移りゆく場所。

    今、ここに立っている理由は、この場所がココロの網膜にその様に映ったからのように思いました。

    うまく言葉にはできませんが、見えずとも、守るべき大切なものがあるのだろうなと感じました。

     

    そう、この一枚におさめたかった静けさは、誰も奪っちゃいけない大切な何かだったのだと思います。

     

     

     

     

     

     

     


    00:57 | 午後 | comments(0) | - | - | - |
    2022.08.08 Monday

    跳ねる靴  (think "with corona")

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               〜 跳ねる靴 〜    (think "with corona")

       

       

      夏休みの日曜日ともなると、スーパーはたくさんの人でにぎわう。

      エスカレーターを飛び跳ねるように下る可愛い靴。

      そんなに急いで何を楽しみにしているのかな。

      嬉しそうな姿を見るのワクワクする。

      ではあるが、コロナの感染は自分事で済まないから、買い出しだけサッと済ませて15分で店を出た。

      「いつまで続くのか」などという言葉も聞き慣れて、大したことなさげなムードさえ漂い始めている。

      身の回りでも感染者は後を立たないが、確かに軽症といっても発熱と鼻の症状、咽頭痛で済むらしいが、保健

      所からの隔離解除許可が出た後も、かなりしんどい日が続いたという人もいる。

      ご高齢の方の中には亡くなられた方もおられる。

       

      どれだけ慣れっこになっても、自分事で済まない。 そう「自己責任」などという甘い言葉では済まされない

      ことだけは、それぞれがしっかりとした認識をもたなければならない。

      非常にレアケースで、初めてのことだったが、何事もないことの有難さを理解しようとしていただけない、そ

      のような人が人を指導する立場についているケースに出会ったときには、こんなこともあるんだという驚きと

      共に、感染拡大防止について理解を求めるというよりはお願いするように語る自分がいた。

      自分自身にとっては初見であったが、今までにもトラブルがあったそうで、その蓄積が今に至る一つの要因に

      もなっていると聞いた。 難しいことではあるが、トラブルの原因は比率やきっかけの問題よりも、普段の自

      分達の在り方を問われていると考えたほうが、結果としての問題を残した場合に自らの得心となりそうだ。

      おそらく、そういった気持ちが「自分にとってのやり切った感」として底辺を支えてくれているのだと思う。

       

      写真のワンシーン、嬉しい気持ちになれたのは、マスクをしていても、関係なく喜びは喜びとして曲げられる

      ことなく、元気よく跳ねる靴の軌跡が目に飛び込んできたからだろう。

      私達が守らなければならないのは、このような光景だと思う。

       

       

       

       

       

       

       


      08:09 | 午後 | comments(0) | - | - | - |
      2022.06.03 Friday

      遥かなる観覧車

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               〜 遥かなる観覧車 〜

         

         

         

        遠くにかすんだ観覧車。

        乗った事あるよ。

        でもね、いつのことだったのだろう。

         

        鮮やかなことは、遥かな日のことでさえ昨日のことのように感じられ、

        何気なく通り過ぎたことは、音もたてずに遠い忘却の彼方へと、その色彩すら失なわれてゆく。

         

        僕らの記憶の姿というものは、時の流れに関わることもなく、

        人生の岐路に立つたびにシャッターを切り、鮮やか色や悲しい色に逢う度にそのボタンを押す。

         

        「砂川遊園のちっちゃな飛行塔」に、「みさき公園のちっちゃな観覧車」

        目が回るほどに回った山上の景色と緑の風、灯台越しの光る海と潮風。

        もう出逢うことのない景色だが、時代、時代の精一杯の夢や姿は決して消えることはないから、ただ、

        ありがとうと伝えたい気持ちに満たされる。

         

        今の時代を否定するわけではないが、人生の価値観をまるで他人が語り、決めるかのように優劣をつけ

        、数字で自分を示そうとする世界に引きずり回される世の中が膨らんでゆく様子を見ていると、こころ

        を無くしてしまいそうで、距離を置きたいと思っている。

         

        ただ生きるために、こころを抜かれた社会戦士にならないためにも、

        大切な思いを共有できるように「戦わない抗い」というものを無くさないようにしたいと思う。

         

         

         

         

         

         

         

         


        13:53 | 午後 | comments(0) | - | - | - |
        2022.05.21 Saturday

        やわらかな光が好きです

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                          〜 やわらかな光が好きです   〜

           

          「ミモザ」、フンワカとした黄色と午後の光

           

          ガラスのティーポット、跳ねる光、通る光、吸収される光。

           

           

           

          やわらかな光に和むパステル。

           

          恒常性などというものがないと気づいてからも、頑張りもし、ゆっくりもし、

          多くを思わさせられもし、考えさせられもしましたね。

          届けようとするどのような言葉も、普段の自分自身の姿勢によって、

          良き力になりもすれば、残念なものにもなってしまいます。

           

          やわらかな光が好きです。

           

           

           

           

           

           

           


          14:11 | 午後 | comments(0) | - | - | - |
          2022.05.05 Thursday

          早く帰ろうよ

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            JUGEMテーマ:日記・一般

             

             

            こんなに暑い午後にご主人様だけ、カルピスソーダ?

            「いいなー」

            「暑いし、早くメール打ち終わって帰ろうよ、ネーネー」

            「お水飲みたいよ」

             

            毎年、5月の連休辺りから急に熱くなる日がやってくる

            一昨日は、本州で一番早い海開きが白浜であったとのこと

             

             

             

             

             

             

             


            08:42 | 午後 | comments(0) | - | - | - |
            2021.01.27 Wednesday

            春をついばむ

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              JUGEMテーマ:日記・一般

              ムクドリが一足早い春をついばんでいる。

              何の木の実だかは知らないけれど、次々とやってきて、ついばんでは飛んで行く。

              夕刻の集団飛行とは一変して異なる一羽一羽の可愛い命の姿がある。

               

              今日、このような一説に出逢った。

               

              空の鳥を見なさい。

              種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。

              それでもあなた方の天の父は養ってくださいます。(マタイ、6:26)

              明日のことは心配しなくていい。

              明日のことは明日心配すればいいのです。

               

              苦労はその日に十分あります。(マタイ、6:24)

              先のことは心配せずに、今日だけを乗り切るようにしましょう。

               

              永遠と残ってゆくのは信仰と希望と愛。(コリント、13:13)

              生き物は生体防御のため、希望よりも不安(悪いことの察知)を優先させるようにできているから、

              不安にとらわれることのないように、信じること、愛する事、希望を忘れないように努めましょう。

              どうなるか分からない未来のことに気持ちを持って行かれないようにして、希望を持って生きてゆきましょう。

              神様がついていてくれるのだから。

              ・・・といった内容の一節でした。

              確かにわからないことに不安を抱いても何一つとしていいことなどないし、大切な時間が無駄になるだけです。

               

              今、コロナの時代にあって、誰もが感染とのかかわりを否定できないし、感染するだけでなく、感染させてし

              まう可能性も否定できない状況になっています。

              気持ちに沿って、できることはしていかないと不安は増すばかりです。

              できることをして、不安を追い払うように努め、何よりも希望を持てるようにしてゆきましょう。

               

              これといった信仰を持たない僕がこんな風に記すのはおかしいかもしれませんが、時々「どうか神様」と

              僕が勝手に思う僕の神様に向かって心の中で呟くことがあるのも事実です。

               

              ムクドリのついばみ

              今日の恵みがあったこと

              しあわせの在りかとあり方を確かめること

               

               

               

               

               

               

               

               


              18:53 | 午後 | comments(3) | - | - | - |
              2019.10.25 Friday

              歩む、立ち止まる

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                JUGEMテーマ:日記・一般

                堤防

                午後

                ひとりの壮年

                シルエット

                長い堤防を歩き、出会ったのは名も知らぬたった一株の花

                世間で起こることとはもはや何の関係もない場所で

                本来あるべき姿を取り戻して生を紡ぐ家族の姿のように映る

                僕らは惑わされてはいないか

                せめぎ合い、正しいことのなんであるかすら曲げられてしまった世界に

                 

                 

                 

                 


                2019.05.16 Thursday

                color of some afternoon

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                  JUGEMテーマ:日記・一般

                  午後のひと時、歩きたいという気持ちが膨らんで公園に向かった。

                  その方がワンコだって幸せそうだしね。

                  歩き始めると、日常への意識が薄れ、この公園の存在が空気のような感覚になっていくことに気づかされる。

                  ちょっとしたバラ園があったり、

                  歩を進めた先の神社の入り口の外からワンコに「お祈りしよう」って一緒に頭を下げたり。

                  誰も気づかないような小さな川の遊歩道沿いには、素敵な店構えのカフェがあったり。

                  (実はその小さな川には驚くほどたくさんのコイやカメやカモが共同生活をしているんだ)

                  そのお隣りには安らぎにどっぷりとまどろむ猫がいたり。

                  こうして公園とその近辺をのんびりと歩いた。

                   

                  一生懸命に毎日を回そうとしてはいますが、次々と湧き出てきた自分の問題だけでいっぱいいっぱいになって

                  しまって、その上に、生じてくる問題にちゃんと対応できているのかも心配になります。

                  でも、逆に、忙しさが、必要以上に考える時間を生じないようにしてくれているのも事実です。

                   

                  こうであればいいのになどと思うことは間違いなくあります。

                  でも、そんな思いも・・・

                  こうして自分自身のことを意識せず、何事もない何でもないひと時がとても幸せに思えたのです。

                   

                  先週のある午後。

                   

                   

                   

                   

                   


                  2018.12.19 Wednesday

                  やすらぎの時

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                    JUGEMテーマ:日記・一般

                    ゆったりと時が流れている

                    「安らぎとは何か?」

                    「平和であるということは何か?」を探すかのように、水面の水鳥たちを眺めている。

                    何の疑いも持たないのんびりとしたひと時が流れてゆくのを感じている。

                    明日もこうであればいいのにと願いながら眺めている。

                     

                    現実というものは、襲い掛かってくる焦燥感のようなものであふれかえっている。

                    力であふれかえっている。

                    自分といえば、訪れてくれる方に最善の道を届けようとすることで、自分というものを成立させて頂いているように思える。

                    そうすることで僕は救われているといえる。

                    人として歩むべき道を歩ませていただいているという気持ちにさせていただいているのだと思う。

                       

                    ココロに襲い掛かるものなどのない未来を望んでいる。

                    静かな時を望んでいる。

                    あなたの安らぎを望んでいる。

                    それが僕の安らぎであり、幸せだと思える。

                    そう思える。

                     

                     

                     

                     


                    2018.08.01 Wednesday

                    「ピーカン」 に 「ひまわり娘」

                    0

                      JUGEMテーマ:日記・一般

                      台風も去って、再びピーカンの夏の日が始まった。

                      一枚目の写真の左の方にある自販機だけれども、側面に描かれたシロクマ君がコーラを抱えていて涼しそうだ。

                      いよいよ八月、夏も後半に向かう。

                      「花まつり」は「ひまわり」の季節を迎えるが、今年はまだ見かけていない。

                      そうそう、ふと思い出したのだが、その昔、「ひまわり娘」と呼ばれる娘がいて、

                      ブラウン管の中での記憶しかないが、伊藤咲子の笑顔は特別な笑顔のひとつとして記憶に残っている。

                      「乙女のワルツ」という曲のシングルレコードを買った記憶がある。

                      実際には悲しい歌なのだが、

                      誰かを好きになるなら、なられるなら、こんな感じがいいと、

                      どうか、純真なこの感覚が守られますように、いい未来がやってきてくれますようにと思ったことを忘れない。

                      僕の中では、淡き青春の想いを呼び覚ませてくれる名曲のひとつとして記憶に残っている。

                      彼女の笑顔は、元気で頑張らなきゃって思わせてくれるまっすぐな笑顔だ。

                      この話の余韻はまだまだ残っているが、思いを現実に戻すことにする。

                      喜んでもらえることを、少しでもできたらいい。

                      笑顔はひとつでも多いほうがいい。

                      そんな気持ちが、今、僕の原動力になっているのがわかる。

                      そこで、8月の目標なんだが、季節も季節だし「明るく、しっかりと歩む」なんていうのはどうだ。

                       

                       

                       

                       

                       


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