真冬日には赤い薔薇を
〜 真冬日には赤い薔薇を 〜
真冬の公園に咲く薔薇
その赤は浮き上がるほどに鮮やかで
凛とした姿は届かぬあこがれの存在に思えた
押さえきれない胸の高鳴りは、耳元で渦巻く木枯らしの声と共鳴し
立ち止るひと時は金縛りと化して、冷気の中、鮮やか色が語りはじめた
ぼちぼちと歩き続ける日々
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〜 真冬日には赤い薔薇を 〜
真冬の公園に咲く薔薇
その赤は浮き上がるほどに鮮やかで
凛とした姿は届かぬあこがれの存在に思えた
押さえきれない胸の高鳴りは、耳元で渦巻く木枯らしの声と共鳴し
立ち止るひと時は金縛りと化して、冷気の中、鮮やか色が語りはじめた
〜 冬イチゴ 〜
100歳近くになって、なお元気に俳句を詠み、句会を楽しみにされているおばあちゃんがおられる。
私は俳句を詠んだことはないのですが、「冬苺」で詠み合いっこしましょうということになりました。
実は、冬に店頭にならぶ苺のことを「冬苺」と呼ぶと思いこんでしまい、野生のものだと初めて知りました。
張り切って撮影した苺は「冬苺」ではなく、単なる「冬の苺」でしたが、せっかくなので置いておきますね。
(食べれたらよかったのですが)
・ 冬苺、初めて知った、その姿
・ 冬苺、語るに至らぬ、我が知識
・ 陽光(ヒザシ)受け、めぐり逢いたい、冬苺
(本当の冬苺をメカロクさんの写真日記より写真を掲載させていただきました)
花言葉には、真心の愛・尊敬と愛情、未来の予感。
冬の山や林など木が多く茂る場所で、比較的に日当たりが良いところに自生している。
冬苺の実は、おいしく、十分に水洗いをし、生のままの果実を味わうもの。
・・・ 調べさせていただくと、このようにありました。/ 早く元気になってくださいね。
〜 一生懸命 / どうして12月に蝶々(ヤマトシジミ)が・・・ 〜
1cmにも満たない小さな蝶が体を休めるように、朝から長時間、同じ葉の上で向きだけを変え止まっていた。
動きはしないが、目は輝き、しっかりと世の中を観察している様子だ。 こんなに小さな体でも、寒さに向け、
しっかりと体毛があることには驚いた。 どうして冬の地上に出てきたのか、温暖化のせいなのか、元々の予定
だったのかはわからないが、光を浴び、生(しょう)成す時が一日でも長く、良い日々でありますように。
〜 クリスマスの足音 〜
街のあちこちでサンタさんのコスチュームを見かけるようになった
楽しみに待っていたペコちゃんのサンタさん。 ペコちゃんのサンタさんから12月は始まり、
耳にするクリスマスソングも増えて、年末に向け時は一気に加速し、足早になる。
〜 winter games 〜 (ガンバレ自分)
あの冬は平地でも視界が危ぶまれるほどの大雪だった
心理上の苦悩はあっても、実存的苦悩に起因する精神への大きな負担のない頃
すなわち、人生の行く先を意識することなどなく、ただ明日に向かっていた頃に撮った一枚だ
あれから時は流れ「自分を投げ出したくなる時がないか」聞かれれば、それはやはり現実としてはある
ということを認めざるを得ない
しかし、今は、はっきりとした意志を持ち、張り詰めて歩む自分がいる
この一枚の写真はCDアルバムの一枚に収めた写真の別角度からのものだ
そう、自分自身の置かれた状況を別の角度から見直して歩もうと今を記している
するとどうだろう、今の自分だからできることもあると気付かされた
何も見えない明日が吹雪の中にあったとしても
役立ち方を考える自分に向かって「ガンバレ自分」と心の声を発することができる
力をいただいている皆さんには感謝の言葉しかありません「ありがとうございます」
〜 見あげる 〜
ここは田舎なんだけれども、こんなにも立派な橋がある
若者は「マリンブリッジ」と呼ぶけれども、年配の方は「あの橋、ほらあの橋」と呼ぶ
そう感じるのは、やはり進んでゆく高齢化社会のためかと思う
港にかかる、ノッポのこの橋の下を、普段、船やカモメが行き来して、休日には朝市も開かれて賑わう
橋の下面は海面からの揺らぐ光を映し、空の青と白、それに黒とのコントラストがハ―モニーとなり美しい
そして、カモメの鳴き声が聞けたり、橋の歩道からはその悠々と飛ぶ姿を上から眺めることもできる
高所は得意ではないが、普段見ることのない眺望や、触れることのない潮風は心地良い思いに浸らせてくれる
〜 晩秋の色 〜
凛とした、冷気に淡く揺れる紅(べに)
うつろいに、散って霜月、アメンボと
白壁を、背に宙舞う時の色
カサカサと、枯れた足音、誰のもの
ああ、どれほどに、時は流れた
〜 桜紅葉(さくらもみじ)の道で 〜
紅葉してそれも散行く桜かな / 蕪村
蕪村の句に出逢い、桜の花は一斉に咲いて散るが、その葉も秋には同じ道をたどると知った。
春、サクラの花は空中で淡く盛んなにぎわいを見せ、秋には地上に舞い降りたひと葉の愁いに目がゆく。
〜 季節うつろう 〜
モミジの木の先のところどころに、赤らんだ葉が見られる。
肌を撫でる風は心地よく、青空の陽は目を細めるほどに眩しく、たたずめば背はヌクイ。
神無月を終え、神楽月(かぐらづき)が終盤を迎える頃になると、頭上にはみごとな紅色が広がることだろう。
四季と共にめぐる命の姿に出逢える喜びは、かけがえのないひと時へとあたりの空気を研ぎ澄ます。
〜 ときの色 〜
モミジの葉、陽の光に緑映え、紅前線の停滞に、未だ想いし秋に至らず。
南天の、色づく紅は待ちきれずに、季節(とき)の気配の手を引いた
辺りがシンとして、どこまでも突き抜ける青い空に出逢ったら、待ちわびた季節(とき)の始まり。