JUGEMテーマ:日記・一般
ママはお買い物ですか。
ポット(手下げのかご)の中には何が入るのでしょう。
今日は何を用意して喜んでもらいましょうか。
ママの思いはひたすら喜びに向かうだけにとてもシンプルだ。
そうなんだ・・・
先に控えるいくつものパターンに思い悩むよりも、今すぐに人を思う気持ちを持つことで、ひとつひとつ空回り
のないように今日をしっかりと歩むことができる。
これはあくまでも、自分自身が存在する意味を自分に納得させるための覚書きだ。
とは言え、つらい思いを強いられることは、当たり前のようにあるから、流せることは流すことにしている。
頼まれごとをちゃんとした形にして届けても、届いたかどうかわからない人、心ない言葉が返ってくる人、
こうして欲しかったのにと平気で言う人、表向きの言葉だけを返す人、「ありがとう」の言葉に心がこもってい
るかどうかぐらいは、いくら何でも僕だって感じ取ってしまう。
話し合って決めたことでも、後にそんな話し合いすらなかったことのように、逆切れする人もいる。
また、何の感性も持ち合わせないのかと思ってしまう人もいる。
こういったことを思うのは、自分自身が孤立したわがままな人間であるからかもしれないと自分自身に問うこと
も忘れてはならない。
そう、考えるということは結構大変な作業だ。
そういったことを踏まえ、いかに対処すべきかはそれなりに心しているつもりだが、いまだに、経験則以上にわ
からないことは多い。
気を付けないといけないのに、感情が直感に相乗りするように先走って、こらえることを忘れてしまいそうにな
る時がある。
そんな時こそ、自分自身への回顧や過去を顧みて、隠れた自分の素性の暴走を食い止めなければならない。
まず一番に、自分側に過ちはないかと問う注意喚起をすること、よく考え、そのうえで初めて動くべきだ。
次いで、自分に間違いがないと思っても、流しても許されることならその場は流して、流していけないことだけ
は、しっかりと思いを広く深めてかためる。
ゆるぎない思いを心から語ることができる原動力は、役に立たない規律などに準ずるものでもなく、守られるべ
き人が傷つかないように守られて欲しいからだ。
弦楽器の音色が美しいのは、一音一音が語る様に奏でられ、寄り添うように生きて響き合うから。
音程が少しでも狂えば、誰もが心地悪いと感じるだろう。
その時、その音楽(人生)は成り立たなくなる。
人生に命を吹き込むには・・・
一音一音への気遣い、慎重で注意深い心遣いだ。
音楽というものを愛する思いだ。
僕自身、日々、気がつかず、迷惑をかけていることはたくさんあるはずだ。
そういったことを減じるためには、ひとつひとつが感性を高めるための勉強だと思って、向き合う人の表情や
言葉、そしてその言葉のすき間を感じとる必要がある。
だが、気づくことができたとしても、どうすることもできない事象があるのも事実として認めざるを得ない。
社会的力学の前には、確かに、やり過ごすしかなく、やりきれないと思うことはある。
それでも「理不尽」などという言葉をやすやすと使う類の者にはなりたくはない。
だから、守るべきを守るがために尽くす。
そう、自我や達成感のために身を投じる者にはならないということだけは守り抜く。
物事には、大切にしなければならない順番がある。
多くの人との関係の中で、できる事、できない事は生じる。
出来ない事が生じるというのは、何があっても、せめてもの純心だけは守りぬきたいという思いがあるからだ。
心の領域まで、好きにされたくない、鎖で縛ろうとするような者の思い通りにはさせはしないという強い思い
があるからだ。
力ずくで、自分の大切を破壊されたことのある人なら、望まれないことには決して触れてはならないことは痛い
程わかるはずだ。
心が再び首を締めあげられ、捻じ曲げられることなどあってはならない。
心の救われる道が断たれることになってはならない。
昨夜から、いろんな思いが心をよぎっていった。
生きる意味をも問うていた。
そして、
今日を少しでも喜んでもらえる日にできるようにガンバロウ。
何度も何度も疲れ切るほどに考えたが、他に何も思い浮かぶことはなかった。
時は流れ、母(ママ)はいつの間にか逆に食事の世話をされる側にまわる様に月日は流れていった。
だが、笑顔を見せてもらえたら、それだけで十分な幸せだと思える。
そして、人生はそう長くはないことに思える。
宝物は、あなたの「ありがとう」と「笑顔」
それだけでいいから、持ち続けてもてもらえますように。
(言葉の表現力不足のために、充分に心を埋めきれない文章であるかもしれない
書いても書いても到達しきれていないと感じながらペンを置くことをお許しいただきたい)