〜 今の大切、先の大切 〜
夕日が落ちる。 田舎町の風景は立ち並ぶ電信柱だけが圧縮されて何の変哲もない一日の終わりを告げた。
街には灯りがともり、
花屋のしゃれた新聞紙に今日あったことを包んで
キーボードに向かい、想いのままに一日の足跡を記す。
気が付くと、外はあっという間に紺瑠璃の時に包まれ、
夜に向かう空気は季節を静かに伝えてくれる。
悲しみや苦しみもあらがいとせず、何も飾らず自然にそっと身を寄せるがいい。
特別なものなど何一つないと思っていたが、今ある生を思うと全てが特別なものであることに気付かされる。
気配をひそめると、あちこちから小さな季節の話声が聞こえはじめ、
生きるということは、全てが特別であるがゆえに愛おしさに満ちることと知らされる。
ひとつひとつ目の前のことに思いをこめよう。
愛おしさにこたえたい。
僅かなことに思えても、大いなる勇気となり救われることは多い。
それぞれに出来ることの形や性質は違うがその思いを誰も秤にかけることなどできるものではない。
誰もの思いのその全てが精いっぱいなのだ。
いろいろなことがある。 生きてゆくことは本当に大変だ。
幸せでわからない事、 不幸でわからない事
健康でわからない事、 病気でわからない事
何事もなくわからない事、 事情を抱えてわからない事
これ以上、誰も傷ついてはならないからわからない事、 これ以上、自分を追い詰められなくてわからない事
やりきれない想いを抱えて生きてゆくのは大変なことだが、負の感情をぶつけることは、周囲も自分自身も破
壊してしまいます。
わからないことは、本当にわからない理由(本能や衝動など)、もしくは、わからないとしか言いようのない
理由があってわからないのですから、言葉では表現しきることなどできるはずない事なのだと思います。
それ程までに、わからないままに納得のできなかったことは数多くあるのです。
そこでパスカルのいうように人は弱いからこそ考えるわけです。(人間は考える葦である)
どのような名言も、伝える人によっては、ネガティブな思いにさせられることもあります。
人がポジティブな気持ちで歩めるような状況を作ることができれば、そんな思いになれる
ような思いを届けることができれば、良い雰囲気が形成されてゆくように思います。
私自身は、今日という日と、ちょっとだけ先を見て、この先の何事もない、何気ない日がやってきてくれるます
ようにとだけを望んで今日を歩んでいます。
しかし、人それぞれに関わるその人以外のやむを得ないファクターの存在にまで注意を払った対応ができている
かというと、至らないことの方がたくさんあると思います。
相手にとって、やさしくポジティブと思える言葉だけで接してゆけるように努めはしても、やはり、大切に思う
のは言葉と共に、心ある行動が伴うことだと思います。
ひと気のない、ロードショウの広告塔の前、
あと少しだけ、この場所で交差する風に吹かれてゆきましょうか。
ここは自転車に乗っていたころ、よくやってきた場所です。
かつては生活感が色濃く表れ、人の行交いの絶えない場所だったのですが・・・
時の流れには、さまざまな運命がいろいろなところに姿を変えて潜んでいます。
その時々に自分なりの最善を尽くし、幸せだったと思えることが、心傷めること以上に息づき、
いい人生だったと言えるように、今にしかできない自分を刻みたいと思うのです。