冬木立
〜 冬木立 〜
「うー 寒―」「寒―」「うー」
寒いのは苦手だけれども
手袋して服を着こんだら、こんな冬景色にも逢えて寒い日も好きになる
来週はとんでもなく寒いらしい
また逢えるかな・・・
こんな懐かしい想いに・・・
吐く息が白くなって、怪獣ごっこをしたっけ
ぼちぼちと歩き続ける日々
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〜 冬木立 〜
「うー 寒―」「寒―」「うー」
寒いのは苦手だけれども
手袋して服を着こんだら、こんな冬景色にも逢えて寒い日も好きになる
来週はとんでもなく寒いらしい
また逢えるかな・・・
こんな懐かしい想いに・・・
吐く息が白くなって、怪獣ごっこをしたっけ
〜 潜る 〜 (寒中潜水)
寒いのに潜る。
残念ながら餌は取れなかったようだ。
しばらくすると、息継ぎのため、水面に浮き上がってきた。
表情は少しお疲れ気味だろうか、いや楽しんで潜っているのかもしれないな。
生きるために潜る。
見ていると小魚はこの季節、何十回潜っても取れない時は取れないようだ。
それでも潜る。
生きるために潜る。
大変なことだが、それができることが幸せなことと誰が知るだろうか。
自然界では誰にも助けてもらえないだろう。
人は、助ける幸せを知る前に、助け合う幸せを学ばないと、真に助けることなどできないと思う。
〜 年の瀬のおだやか 〜
今日の午後は寒さが少し緩んだ。
色々と困難はあるが、それなりに平穏な気持ちが保たれているのだと思う。
忙しかったおかげで、ここ数日はストレスが膨れ上がることなく過ごせたのは有難い。
おかしなもので、思いというものは、平穏でも不具合を感じすぎても、脳をよぎろうとはしないもののようだ。
ここのところ、何を記そうかと思ってもこれという想いに至らない。
ここ数日は、不具合を感じる時間が短く、穏やか近くの日が続いている。
有難いことだ。
大晦日の記事となるような、一年の総集編的なものが書けたらいいのにと思ったが、おそらく、やはり今日は落
ち着いていて、有り難いことに、有難いというしかない。
石畳の道をゆくカップルの姿は小さくなっても、何事もない平和な時の上に幸せを上積みされてか、背の伸びた
その姿は遠くにあっても視界の中にある。
それ(幸せの上積み)はいいことだ。
だとしても、何もない事だけで十分すぎるほどに有難い。
この上なく有難い。
だから語りたいと思うこともある。
現実は、どうすることが最善なのか、わからないことは多い。
しかし、こうする方が良いと思えることもある。
来る年も
力になれる確信が、たとえヒトツでも増やせるように、
言葉の間を少しでも埋めることができるように、
そう努めることができる年に出来ればと思っている。
〜 もしかして、「まっくろくろすけ」 〜
何の木の実かはわからない。
けど、マックロクロスケ(ススワタリ)じゃないかって思った。
子供の頃はマックロクロスケが見えるが、大人になると見えなくなる。
トトロも、猫バスも大人になると見えなくなる。
子供には見えて大人には見えないものって・・・
長ーい雲が割れたら、あくびをするワニに見えたり、
煙突が煙をはいたら蒸気船「ウイリー号」だったり、
噴水の下にはクジラがいたり、
小高い丘に登ったら恐竜の背中だったり、
エーット、エーット、エーット、
地下道を抜けるとそこは地球の反対側のブエノスアイレスで、
リズムよく切符にパンチを入れている路面電車の車掌さんは、なななんと「メッシじゃないか」なんてね。
〜 ある「アリガトウ」のかたち 〜
季節により
お天気により
場所により ・・・風向きは変わる。
人生を思うとき、
自然が人的環境からの影響を受けるのと同じに・・・
人も同様に周囲環境の影響を受ける。
比較級が居座る限り、全てのことは表裏一体となり呼吸を続けている。
言葉には声にできるものと、沈黙する他ない、言葉にならないものとがあることを知らねばならない。
美しく聞こえる言葉は時に嘘つきで、夢遊病者(描写)として記憶の彼方へと走り去ってゆくものもある。
そう、何を言い得ないかを知り、体のぬくもりを、心のぬくもりを、どう伝えるかを知らねばならない。
そうして、互いに懸命に生きる姿を確かめさせていただける者は、戒めを知ることのできる幸せ者だと思う。
人それぞれに様々な運命を背負うが、せめて、今日をよい日にと思う気持ちを抱かせていただけるのは、今日、
お会いさせていただく方から分けていただく力と学びと、その先に生まれる「ありがとう」の気持ちが原動力
になっている。
「ありがとう」のお返しが少しでも出来ますように。
「ありがとう」がちゃんと届けられますように。
ゆき詰まった思いの時にも、やりきれない想いに埋もれて見えなかった「ありがとう」の気持ちを見つけたら、
やすらぎと勇気とやさしさがやってきますから。
そしたら、その「ありがとう」がまた、誰かの心を温めてくれますから。
〜 イチョウの葉、敷き詰めて 〜
イチョウの葉が敷き詰められた道を「カサカサ」と踏みしめて歩く老夫婦
春がやってくるまで、寒さからたくさんの小さな命を守っては育むお布団になる
その先は、母なる大地の糧となる
〜 秋葉山 〜
枯葉を踏みしめてゆく道
なんて可愛い表情だ。 メジロ君? (のちにジョウビタキと教えていただきました)
にしては黄緑色じゃないな
紅葉を終えたモミジに陽が差すと、ステンドグラスみたいだ
枯葉と
シンとした空気と
サエズリと
光と影と
空色と
・・・歩いた
〜 スズメの木 〜
こんなに細い木の枝に6羽のスズメが止まっています。
スズメの井戸端会議はどんな具合でしょうか。
スズメたちが1本の木や、同じところに群がっている様子を「塒(ねぐら)」と呼び、
体を寄せ合い羽毛を膨らませ集まることで、体温の維持や 睡眠時の外敵から身を守るためなどの意味がある
そうですが、きょうは、二組が近寄ってはいますが、まだ体を寄せ合う「塒(ねぐら)」という状態には至っ
ていないようです。
もし、実際に目にすることがあれば、自然界に命を任せる姿から、記憶すべき現実という感覚をまた一つ刻め
るのではないかと思っています。
寒い日には、体を寄せ合うスズメたちに逢えないか、その気持ちを忘れずに散歩に出かけたいと思います。
〜 風吹く土手にて 〜
土手の上の散歩道は風の吹き曝しになる日が多い
僕は無神論者ではないけれども、どの宗教、何の宗派とも接点はない。
偶然にも、手にした本がキリスト者の執筆された作品であったり、宗教の解説の書籍であったりはする。
正確には、無神論者でも有神論者でもない。
だが、十字架のある場所を通ると、この季節は特に厳かな気持ちになる。
不可能なことに出会う度に「神様じゃないから」と思ったり口にする。
どうにもならない気持ちの時は「神様」という言葉が浮かぶ。
そんな感覚で、昨日、久しぶりに土手の上の道を歩いた。
〜 晩秋の公園 〜
晩秋の公園はひんやりとし、光と影もくっきりとして心地よい。
ここには白鳥とカモと鯉がいて、初めて彼らのエサ売り場なるものが設けられた。
持ち込みのパンは塩分が高くて鳥や鯉にとっては良くないからだそうです。 知らなかったなー。