ハダカ電球
〜 ハダカ電球 〜
明るい間、誰にも気付かれることもない裸電球は「昼寝でもしておくか」と、陽が傾くのを待っている。
夜、裸電球は懐かしい光を放ち始める。あなたも、わたしも、残しておきたい記憶も、幼心に願ったその夢も、
望んだことだけが、それが、それだけが、輝くべきもの。
ぼちぼちと歩き続ける日々
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〜 ハダカ電球 〜
明るい間、誰にも気付かれることもない裸電球は「昼寝でもしておくか」と、陽が傾くのを待っている。
夜、裸電球は懐かしい光を放ち始める。あなたも、わたしも、残しておきたい記憶も、幼心に願ったその夢も、
望んだことだけが、それが、それだけが、輝くべきもの。
〜 僕の眼鏡 〜
僕の眼鏡
お気に入りの眼鏡だ
気を付けて使っているつもりでも結構傷って入るもんだな
レンズの真ん中に傷が入ったら交換しないといけないけれど
今のところ大丈夫
大切にしないとね
毎日の身の回りのこと、全てがきっとそうなんだな
〜 開かないギターケース 〜
ギターケースの鍵はかかったままだ
ギターに触れなくなって、1年以上になる。
ケースにはホコリが積もり、留め金の金属の一部が錆びかけている。
弾きたいという気持ちは湧かない。
今の自分にとって自然なこと。
唄いたいという気持ちにもならない。
懐かしいと思うのは事実。
本当のこと。
きっと以前のようにはいかないから、そんな自分を改めて認識したくないということもある。
そして、自然と遠のく。
寂しい気持ちもあるが、しなくて済むという安楽に思う気持ちもある。
いくつもの特別な良い想い出があるということだけは間違いない。
「嘆きは、何の意味をも、もたらさない」と聞いたことがある。
その言葉を思い浮かべると、みっともないのだが、
自分にとっては、ため息のように、こころの圧を抜いてくれるもののように思える。
本を書く人は、大抵、そこそこ元気だから、プラス思考の思いを存分に書けるのじゃないかなと勝手に思
う自分がいる。
自分自身、いろいろな事象や思いを、調子のよい時は「あっ、受け入れられている」と思うときもあるが、
調子が良くないと、「受け入れきれてないな」と思うのが本音だ。
まあ、思えば、何もかもが自然なこと、自然の成り行きで、目の前にあることを、無理のない範囲で、で
きることに努めるということが新たなやりがいになって良かったと思っている。
自分はどちらかというと心がそう強くない方だと自認しているが、まだ、少しはできることがあることを
有り難いことだと思っている。
JUGEMテーマ:日記・一般
〜 アンティ―クな花屋(RanRan)〜
通るたびに少しずつ飾り付けが変わっていって、訪れる者の目を楽しませてくれるお花屋がさんある。
ドライフラワーの向こうにあるのは何だろうと、しばらく眺めていたのだがカエルの足と判明。
この一枚はご主人の足元を撮らせていただいたものです。
ご本人はお売りできませんが、手ぬぐいにエプロンに靴、そのそれぞれに値札を付けても良いと思えるセンス
の良さを感じます。
アンテイークな作品が並ぶその裏側では、きれいな色とりどりの花たちが所狭しとたくさん並んでいます。
ステキなご夫婦で、夢と創造力を届けてくれるお花屋さんとでも言いましょうか・・・
心躍るお花のアートを楽しませてもらえます。
〜 浅き夢見し 〜
あわただしい日々の流れの中、まるで記録映画のフィルムが突然に途切れたかのような午後があった
眩しい程に差す光は、薄く開けたマブタの隙間からも強引に入り込もうとする
アルミの板に反射して光を描く空の青
碧い想いがグルグルとめぐりはじめた
天井から差し込む光は午後の造形の影と戯れている
どこからか、「もういいよ」の声が聞こえてきても、目を覚まさなくてもいいかな
僕はただ、寝そべっていたいだけなんだ
今は、はるかな季節の中でまどろんでいる
時空超え、浅き夢見し、遠い午後
今、ひと時の、ひとり芝居に罪はない
〜 アーティスティックウォールから望む冬の海べの風景 〜
光に浮かび上がったコンクリートの壁
開口部には枯れた芝生が覗き
前方には初めての冬を迎えたまだ幼い植樹
その先には冬の浜辺
そのまた先は冬の海
冬の雲と空
風までがグレイッシュ
全てがグレイッシュ
心に映る冬の色
坂本龍一のアルバム「THREE」のバージョンでの「Happy End」が僕の中で流れ始めた
悲しい曲にしか聞こえないのだが、悲しい現実に立ち向かい、その中でささやかな幸せ観を見
い出そうとして、ほらって伝えようとするぬくもりが冬の情景の中に見えてくる
JUGEMテーマ:日記・一般
マジックアワーに浮かび上がった紺瑠璃
自然の営みがある
人の営みがある
それぞれの想いがある
暮れゆく寒さのところどころに明かりが灯った
こんな景色に出会うと、一瞬の奇跡を感じる
JUGEMテーマ:車/バイク
今年? 来年?
ワーゲンのビートルがついに生産中止になる。
最近はモデルチェンジのたびに少なくともデザインの良さが消えてゆくように思っていた。
このモデルが何代目に当たるのかは知れないけれど、まだビートルがビートルであった頃のものだ。
「あの頃に戻りたい」そんな気持ちになった。
JUGEMテーマ:音楽
ジャズストリートは間違いなく年々来場者が増えている。
会場も増えて散在し、70か所以上になった。
僕は歩くのが少しつらかったので、自転車で移動した。
杖を突いてやってくるおじさんもいる。
やっぱり好きなことは優先しないとね・・・
街角ではこんな感じに決めるクインテットもいた。
とても楽しませてもらった。
バスの中ではジャズではないが弾き語る若者もいた。
揺れるバスの中、立っての演奏は大変だったと思うが、素敵な時間を届けてくれた。
路上や、店舗、劇場、それにジャズバスは大きな様変わりもなく、相変わらずの安堵の時を届けてくれる。
アートの森を抜けてメイン会場の一つに向かう。
グランドは座る場所もないほどに人で溢れかえっていた。
個人的には以前に城跡公園で開催されていた時のように、場所を問わずに芝生に寝そべってゆっくりと過ごす方
が好きだ。
そう思うのは、次々とやってくる人が椅子(場所)の確保のためにあくせくと行ったり来たりする姿を見たせい
だろう。
どれくらい前のことかは忘れてしまったが、出演させていただいた時のことを思い出した。
すると、懐かしい思いが戻ってきた。
やってみたいという気持ちはあったが、その時の原動力の詳細は今もよくわからないままだが・・・
ひとつだけ言えることがあるとすれば、このフェスティバル独特の雰囲気のようなものだったと思う。
当時、ポピュラリテイーの高いアーティストがあまり来ることもなく、マニアックに好きといえる音楽が集うと
ころに、宝物探しをするような楽しみがあったから、自分自身もその一員になってやってみたいと思ったのだと
思う。
自身のジャンルといえばニューミュージック世代のポップスだから、ジャジーな曲を選んで演奏したことを思い
出した。
今では、その昔みたいにのんびりとグランドに寝そべり、心静かに時を過ごしたくても、そうもできない面も感
じられる。
運営のためには、よりたくさんの方に来ていただく必要があって、ジャンルの拡大も必要なのかもしれないとは
思いもするのだが、長く通い続けた者の個人的で全く私的な思いだが、ノンビリと芝生の上に寝転がることので
きるジャンルや環境の設定された場所を復活させていただきたいと思うのです。
勝手な楽しみ方をしてきた者のマイナーな思いを書きましたが、十分に素晴らしすぎるフェステイバルである事
には違いがありません。
勝手な思いですみません。
JUGEMテーマ:日記・一般
今年の藤は見事だった。
2週間にわたったお祭りの最終日に至っても色あせることなく立派な花の房をたたえていた。
街をワンコと散歩していると、知らない人からも「ご苦労様でした」とか「ありがとう」っていう声をかけていた
だいたことには少し驚いた。
最初はなんのことだかわからずに「何でしたっけ」と聞くと「ギターですよ」って・・・
なんだか、思わないところで声をかけられると、させていただいてよかったって、心に安堵のようなものを感じた。
今日なんかは近所を歩いている時に畑仕事をしているおばさんから突然声をかけられ、新タマネギまでいただいた。
そのおばさんは藤祭りの会場で確かポン菓子を売っていたんだ。
小さな町のお祭りでつながるココロはあったかだ。
( 余談なんだけれども、24日の水曜日から右の股関節が痛くなって歩きづらく、水が溜まっていることがわか
りましたが、原因がわからず、消炎鎮痛剤をのみ、様子ををみながらただいま精査中です。
26日の金曜日からは左小指の関節痛も出現し、小指を目いっぱい広げないと押弦できない「君とあの日の校
庭で」が弾けないことも判明。 まさか、リウマチ?・・・ 変形性関節症の初期?・・・
同級生の中にも、あれやこれやと障害や病気の出てきている人はそれなりにいる。
年齢と共にいろいろと出てくるもんだなと思わされるが、 ヤダ、ヤダ。
お薬のおかげか、痛みのほうは少しずつ楽にはなってきています。
連休の間に良くなるような一過性のことならばいいんだけれど・・・
まあ、それにしても、藤祭りでの演奏が終わった後のことで良かった。)